離縁を告げた夜、堅物御曹司の不器用な恋情が激愛豹変する
じゃあ、あの時の鞠絵さんはもう社長秘書ではなかったのだ。だったらどうしてZアドバンスまでやってきて私にあんな話を?
「じゃあ、そろそろ行くよ。なにかあったら連絡して」
「……はい。いってらっしゃい」
浮かんだ疑問符は頭の隅へと追いやり、珀人さんに笑顔で手を振る。
スーツケースを引いた彼は一度玄関の扉に手をかけたものの、途中でぴたりと動きを止めてこちらに戻ってきた。
「忘れ物です、か――」
尋ねているうちに至近距離まで迫っていた彼が、唇にふわりと軽いキスを落とす。不意打ちの甘い感触に頬がじわじわ熱くなって、心臓が早鐘を打つ。
あからさまに照れている私に珀人さんはふっと穏やかな笑みをこぼすと、大きな手で私の頭を撫でた。
「もう、忘れ物はない。行ってきます」
「いって、らっしゃい……」
こんな時、私は彼に恋していた高校時代と似た、甘酸っぱい気持ちで胸がいっぱいになる。
珀人さんがカッコよすぎて、息をするのも苦しいくらいだ。決して他人のひと言で簡単にあきらめられるような想いではない。
彼の姿がドアの向こうに見えなくなってからもしばらく夢見心地でぽうっとしていたが、やがて自分も出勤しなければならないことに気づき、慌てて準備を再開した。