離縁を告げた夜、堅物御曹司の不器用な恋情が激愛豹変する

「……いや。出て行ってからは一度も」
「母親に向かない人だったのかもな」
「ああ。そう思う」

 もちろん虐待などを受けたわけではないが、母親という存在にに精神的な安心を覚えた記憶はあまりない。

 そんな人の言葉に長年心を縛られているなんて、馬鹿らしくはないだろうか。今の俺がなにより耳を傾けるべきなのは、妻である悠花の口から出る言葉なのに。

「とにかく、悠花に離婚を考え直してもらえるよう、努力するよ。心配させて悪かった」
「いや。こっちこそモラハラとか言ってごめんな」
「当たらずとも遠からずだから仕方ない。……だが、しばらくは引きずる」
「おお、珍しく財前が拗ねてる」

 大して悪いと思っていないのだろう。瀬戸山がクスクス笑っている。

 笑われるのは心外だが、悠花との関係について相談できる相手はこの男くらいなもの。自分の至らぬ点をハッキリと指摘してもらえたのも収穫だった。

 学生時代から変わらず続く友情のありがたみを感じつつ、あまり食べ進んでいなかった寿司に箸を伸ばした。


 瀬戸山と店の前で別れ、運転手が待機している車に乗り込む。

 車窓から外を眺めながら、今日もできる限り早く仕事を片付けようと、帰社してからの段取りを頭の中でシミュレーションする。

 もちろん、悠花とコミュニケーションを取るためだ。

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