逆ゼロ - The Other Fragments ユキちゃん
* * *

「……ただいま」

 蓮さんの声がして、私は慌ててチキンライスを味見する。

 ああ、やっぱりナツメグの風味が強すぎる。何度も直そうとしたのに、結局ごまかせなかった。

「おかえりなさい……」

 私はそう返しながら、冷蔵庫の中をざっと見て、代わりに今から作れそうなメニューを考える。さすがに、このまま出すのはちょっと無理があった。

「ごめんね、夜ご飯は私が作るって言ったのに、ちょっと想像と違う味になっちゃった。すぐ作り直すから」

 そこまで言って、ふと気がついた。

 蓮さんの雰囲気が、いつもと少し違う。表情が硬くて、笑顔もどこかぎこちない。

「蓮さん……?」

 彼は何も言わず、ソファに腰を下ろし、静かに息をついた。

「夕食は後でいいから……ちょっと、話してもいい?」

 私はうなずいて、手を拭いて隣に座る。

 すると、蓮さんの手が私の髪に触れた。指先で髪を一房すくい、静かに撫でるように。

「……今日、誰に会いに行ったんだっけ」

 声は穏やかで落ち着いていたけれど、どうしてだろう、どこか緊張をはらんで聞こえる。

 それに、いつもは深く澄んだ瞳が、今日は少しだけ揺れて見えた。

「ユキちゃんだよ。明日も会う予定なの」

 その言葉に、彼の指がぴたりと止まる。眼差しが、わずかに陰ったのがわかった。

「明日も……?」

「うん。夕方から会うから、ちょっと帰りが遅くなるかも」

 蓮さんは少しだけ眉を寄せた。

「薫」

 名前を呼ぶ声が、少しだけ低く、かすれている。それがとても切なげに響いて、なんだか胸が締めつけられた。

「どうしたの? 今日、なんだか──」

 そう問いかけた瞬間、彼の指先が髪をなぞるように滑り、もう片方の腕が私の背中を強い力で引き寄せた。

 抵抗する間もなく身体が傾き、気づいたときには、彼の顔がすぐ目の前にあった。

 そして──唇が、重なった。

 少し乱暴で、息が途切れるほど深くて、どうしようもなく情熱的な──まるで、私を確かめるみたいなキスだった。

 噛むように唇を奪い、呼吸の隙間まで奪われる。その激しさに、心も身体も追いつけないでいた。余裕なんて、どこにもない。

 背中に回された腕には、抑えきれない想いがこもっていて、服越しに伝わる彼の鼓動が、私の胸まで響いてくる。

 蓮さんの唇が、私の下唇を甘く噛んだ。思わず息が漏れて、身体が震える。

 まるで……時間が止まったみたいだった。部屋の空気が甘く溶けて、意識ごと深く沈んでいくような感覚に包まれる。

 それに抗うように、私は彼の肩を押す。それでも彼はキスを繰り返し、離れてくれなかった。

 もう一度、今度は両手で少しだけ強く押す。

 ようやく、ゆっくりと唇が離れた。

 蓮さんは額を私の額に寄せて、荒い息のまま小さく囁いた。

「……嫌だった?」

 かすれた声が、いつになく脆く聞こえる。私は彼の目を見つめ返した。

「どういうこと……?」
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