年下ワンコと完璧上司に溺愛されて困っています。

第9話 ……絶対、何か考えてましたよね?

 玄関を開けて、(あおい)を家の中に引き入れた。体を支えながら廊下からリビングへ連れてくると、
 私は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、グラスに注いで差し出した。
「はい、まずはこれ」

 碧は両手でグラスを受け取り、喉を鳴らしてゴクゴクと一気に飲む。
 その間に私は、ペットボトルごとテーブルに置いた。
「好きに飲んでいいからね」

「ぷはぁーー! おいしーー!!」
 満足そうに笑った碧は、すぐに二杯目を注いでまたゴクゴク。
「生き返ったー!」

 そう言って背中を後ろのソファの縁に預けた碧は、しばらくの間、深呼吸を繰り返していた。
 額の汗も少しずつ引いて、ようやく落ち着いてきたように見える。

 私はその様子をそっと窺ってから、声をかけた。
「大丈夫? めまいとか、もうしない?」

「うんっ」
 碧は力強く頷いて、安心させるように笑った。

「本当に無理しないでね。
 今日、わたしが外に出ようとしなかったら、気づかないところだったんだから」

 私がそう言うと、碧はグラスを両手で包み込むように持ちながら、少し視線を落とした。
 長いまつ毛が影を落とし、声はためらいがちに、けれど真剣さを隠せなかった。

「……一度は帰ろうと思ったんです」

 ぽつりと漏らすように告げられた言葉に、胸がざわつく。
 
「でも……今日を逃したら、もう会えないような気がして」
「だから、エントランスでうろうろしてたら……ちょうど住人の人が出て行くところで。
 その隙にマンションの中に入って……おねーさんの部屋の前で座ってました」

 そう言って、気まずそうに、でもどこか誇らしげに笑う碧。
 無茶だと分かっていても、それでも会いたくて必死だった、その気持ちが痛いほど伝わってきた。

 ——それに比べて、私は自分の気持ちに蓋をして、彼に会うのを避けていた。
 これ以上のめり込んだら引き返せなくなると思って。だけど、本当は直接向き合うのが怖かったのだ。

 なのに碧は、まるで捨てられた子犬のように、ずっとそこで待ち続けていた。
 その姿を思うと、胸の奥が熱くなり、目頭がうるんだ。
 
 それを誤魔化すように、私は笑って言った。
「落ち着いたらシャワー浴びてきたら? 汗だくだし」

 すると碧は、いたずらっぽく目を細めて口角を上げる。
 その顔は、子犬が牙をのぞかせた一瞬の肉食獣。ぞくりと背筋が粟立つ。

「じゃあ……一緒に入りますか?」

 挑発するように低く囁く声に、心臓がドクンと跳ねた。
 普段のワンコな笑顔とは違う色気に、本気で揺さぶられてしまう。

 私はすぐに口角を上げ返し、余裕を装って返す。
「……いいよ?」

 碧の目がまん丸になった。
 「えっ」
 慌てた顔が可笑しくて、吹き出しそうになる。

「ふふっ、ジョーダン」
 肩をすくめて笑うと、碧は「ちぇーーっ」と舌を出し、子どもみたいに拗ねた表情を見せた。
 次の瞬間にはケロリとした顔に戻り、立ち上がってバスルームへ向かう。

 その後ろ姿は、まだどこか頼りなくて……胸がきゅっとなる。
 
 ドアが閉まるのを確認すると、私はテーブルに顔を伏せ、深く息を吐いた。
 ふ~~っと。体の力が抜ける。
 
 ああ、もう。全部が愛しい。
 彼の一挙一動が愛らしくて、たまらない。

 想いが決壊してどうなるかと思っていたけれど、意外にも気持ちは落ち着いていた。
 むしろ、達観に近い冷静さが胸の中に生まれている。
 彼を抱きしめたいという衝動と同時に、これからどうするかを真剣に考えなければ、という責任感が芽生えている自分に気づいた。

(これからだ。ちゃんと話を聞いて、これからのことを決めなきゃ)

 重い女になってしまうかもしれない。
 嫉妬深い自分を見せるかもしれない。
 だけど、それでも――私は自分の気持ちをきちんと伝えたい。
 彼を待たせたこと、避けていた自分、その全部を正直に話すつもりだった。
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