年下ワンコと完璧上司に溺愛されて困っています。
 ——私の名前は、三枝 杏(さえぐさ あん)。三十四歳。
 都内の中堅文具メーカーで企画・開発を担当している、ごく普通のOLだ。
 童顔だから実年齢より若く見えるらしいけど、もうアラフォー目前。
 恋愛はずっとご無沙汰で、昨日だって友人に無理やり連れられて婚活パーティに参加して……
 結果は惨敗。

(あぁ……そうだ。惨敗して、やけになって入ったバーで……)

 脳裏に昨夜の光景がぶつ切りで蘇る。
 カウンターの向こうでシェイカーを振っていた、金髪の青年。
 人懐っこい笑顔で、軽く声をかけてきた。

 「おねーさん、落ち込んでる顔してますね」

 気づけば愚痴をこぼしていた私に、彼はタイミングよくグラスを差し出してくれた。

 ——そこまで思い出したところで、私ははっと我に返った。

 (……って、いやいやいや! ちょっと待って!)
 (つまりベロンベロンに酔っぱらってゲロった私を、この子が家まで連れ帰ってくれたってことだよね。しかも……わたしから誘って……)

 (これって……私がお持ち帰りされたんじゃなくて、私がお持ち帰りした状況!?)

 ガンガンする頭を抱える。
 (やばいやばいやばい……これ、完全に私の方がアウトじゃない!? この子……さすがに成人、してるよねえええ!?)

 がばっと布団から飛び起きる。
 隣でニコニコしている金髪の青年を指さし、カッスカスの声を張り上げた。

 「ねえっ!! 君……成人してるよね!? もし未成年だったら、完全に私……アウトじゃん!!」

 必死の問いに、青年はにこっと笑って、子犬みたいに小首をかしげた。

 「……何歳に見えます?」

 「ヒィィィィ!!」
 思わず頭を抱えて悶絶する。

 青年は楽しそうにその慌てっぷりを眺めてから、肩をすくめて小さく笑う。

 「ふふっ。おねーさん、ほんとかわいい」

 わざとらしく胸に手を当て、ポーズを決めながら言った。

 「安心してください。僕、二十四です」

 得意げな笑顔。

 そしてさらりと続けた。

 「僕は——新堂 碧(しんどう あおい)。バーテンダーやってます」
 にこやかにそう言ったあと、ふっと表情を曇らせる。

 「……昨日名乗ったのに忘れられちゃってたら、僕、ちょっと悲しいなぁ」

 長いまつ毛を伏せて、わざとらしく肩を落とす。
 その仕草が妙に板についていて、杏の胸にチクリと罪悪感が刺さった。

 「ングッ……」

 思わず変な声が漏れてしまう。

 すると碧は、すぐに唇の端を上げてにこっと笑った。

 「僕はおねーさんの名前、ちゃ~んと覚えてますよ」

 そこで一拍置き、身を乗り出して距離を詰める。
 低く甘い声が、耳元に落ちてきた。

 「ね、——杏さん?」

 心臓が大きく跳ねる。
 子犬のように無邪気だった瞳が、一瞬だけ肉食獣の光を帯びていた。

 (な、なにこの切り替え……! 油断したら食べられる!!)

 息を呑む間に、彼の綺麗すぎる顔が、ぐっと近づいてきて——


 
 ——三枝 杏、三十四歳。
 恋愛なんて、もうすっかりご無沙汰だと思っていたのに。
 ここから始まる“騒がしくて甘い日々”を、私はまだ知らない。
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