愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う
第33話
執事からは疑われ、御者には誤解され……。念の為、もうレオとは接触しないようにしよう……そう思っていた。
「今度はマドリー夫人から招待?」
「そのようです」
家令に手渡された手紙の中身はまたもや例の社交クラブへの招待状だった。
レオにハンカチを返してから五日程が経った。今日はカムデン侯爵夫人と観劇の予定がある。招待状は明日……。行けなくもない為、断りづらい。あぁ……今日だったら断れたのに。
レオの妹さんのことも心配だ……しかし、この状況でクラブにノコノコ行くのも……そう私が悩んでいると、家令が心配そうに尋ねてきた。
「そんなにその社交クラブが嫌なんですか?」
「え?私、何か口に出してた?」
「いえ、かなり難しい顔をして悩んでいらしたので」
私は思わず皺の寄った眉間を隠した。
「嫌……という訳ではないの。ただ……」
「例の若者の件ですか?」
家令に言われて、心臓がドキリと跳ねた。
「な、何故それを?」
動揺しちゃダメだと思うのに、大切なところで言葉を噛んでしまった。
「いえね、執事が言ってたんですよ。『どうも奥様は平民の若者と懇意になってるらしい。旦那様の居ない隙に何をしているのか』と。奥様のその態度を見るに、社交クラブと何か関係があるのでは?と、カマをかけてみました。当てずっぽうでしたけど」
「私、貴族失格ね。顔に出しちゃダメだわ」
「奥様にも何かしら後ろめたいことが?」
家令に言われて私は考える。後ろめたいことと言えば、あの社交クラブが実は男娼の集まる高級娼館であるということと、レオがブルーノに似ているという二点だ。
「別に貴方が考えているようなことはないわよ?」
「分かってますよ。私は疑っていません」
家令の言葉に私はおや?という気分になる。
「信じてくれるの?」
「奥様がブラシェール伯爵家のためにならない事をするとは思えません。正直、この家の事を一番考えてくださっているのは奥様です」
私はそう言われて嬉しくなった。
私のやりたい事を理解して評価してくれている人がいる。それだけでも、ここに嫁いだ甲斐があったというものだ。
私は家令のお陰で気分良く観劇に出かけることが出来た。
「ねぇ、デボラさん。あのジャムなんだけど、売っていただくことが出来ないかしら?」
カムデン夫人は私の顔を見るなりそう言った。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ。甘すぎないから主人も気に入ってしまって。もう他の店で買ったジャムでは満足してくれないの」
「そんな風に言っていただけて嬉しいですわ。ちょうど昨日、領地からまたジャムが届いたばかりですの。直ぐにご用意させていただきます」
「あ!ちゃんと料金は支払いますから」
カムデン夫人の言葉に私は手を小さく振った。
「とんでもない。いつもお世話になっているお礼です」
「ダメよ!領地のことを考えるのなら、付加価値をつけてちゃんと売ってあげなきゃ。せっかくあれだけ美味しいんですもの。きっと私と同じように『買いたい』と言い出す人は現れる。皆に足元を見られない為にもお金は取るべきだわ」
「夫人……」
私は夫人の言葉を噛み締めていた。いつの日か王都で売り出すつもりだったが、まだ早いと思っていたことも確かだ。
だが、夫人の言葉に私は勇気を貰う。お金を出してでも食べたいと思って貰える物を作ったのだという自信を得ることが出来た。
「いい?貴族なんて希少な物にお金を支払いたくなるものなの。ブラシェール伯爵領の果物でしかあの味は出せない……宣伝文句になるわ」
「ありがとうございます。私もうちの領の果物の味に自信を持っていましたが、そう言っていただけて本当に嬉しく思います。……直ぐに王都に店を構える準備に入りますわ」
少し先の計画だったが、私は前倒しにすることを一人心に決めた。
観劇から帰った私は早速ジャムの店を開く計画を実行するべくハロルドに手紙を書いた。
店を開くなら、もっと多くのジャムを作る必要がある。今は閉鎖してしまった果樹園を再建出来るのか……確認する必要があった。
「あとは資金ね……」
私の呟きに家令が反応した。
「ブラシェール伯爵家にはそれぐらいの資金はありますよ」
「分かってるのよ……。でもあまり使いたくないかなって。失敗したら丸々負債になるもの」
「ふむ……。私に少しツテがあるのですが……少し時間を下さいますか?」
家令の顔を見る。彼は微笑むと言った。
「実はうちの祖母の店が閉店しましてね。どうするかな……と父に相談されていたんです。それから少し時間が経っているので、あまり期待しないでいただきたいのですが……」
「そのお店って……?」
「パン屋でした。祖母が亡くなってそのままに。そこを使えれば……」
「それなら新しく店を建てる必要もないし……!」
私は思わず立ち上がっていた。
「落ち着いてください。まだどうなるか分からないんですから」
家令は苦笑した。
「わ、分かってる。ごめんなさい……」
私は恥ずかしくなって、少し頬を染め、改めて腰掛けた。
家令はクスクス笑いながら、私に言った。
「奥様は本当に……ブラシェール伯爵家のことを考えてくださってますね」
「当たり前でしょう?」
「当たり前を当たり前に出来ること。これって意外と難しいんですよ」
「うーん……そうかもしれない。でも、私にはこれが普通」
私はそう言ってニッコリと微笑んだ。
「ところで奥様。明日はどんなドレスをお召しになりますか?」
そう言われて、私は明日の社交クラブのことを思い出して、ため息をついた。
「まぁ!良くおいで下さいましたわ!」
社交クラブの扉を開きホールに顔を出した私を出迎えたのはマドリー夫人だった。
「お招きいただき、ありがとうございます」
マドリー夫人は私の頭から爪先までをサッと眺めると、ニッコリ微笑んだ。
「素敵なドレスですわね。貴女の美しさを引き立ててるわ~」
そう言ってマドリー夫人は口元を扇で隠す。……少し地味だったかしら?私は今日のドレスをほんの少し後悔した。
「ありがとうございます。マドリー夫人も相変わらずお美しく── 」
「止めて!」
私の鼻先に彼女の扇の先端がかすめる。
「えっ……?」
「その名前で呼ばないで。ここではその名を聞きたくないの」
どうも『マドリー夫人』と呼んだことを責められているようだ。
「では何とお呼びすれば……」
「ここでは『姫様』と呼ばれてるの……って貴女にそう呼ばれても嬉しくはないから……そうね、オーナーでいいわ」
『姫様』と聞いて笑わなかった私を誰か褒めてほしい。
「今度はマドリー夫人から招待?」
「そのようです」
家令に手渡された手紙の中身はまたもや例の社交クラブへの招待状だった。
レオにハンカチを返してから五日程が経った。今日はカムデン侯爵夫人と観劇の予定がある。招待状は明日……。行けなくもない為、断りづらい。あぁ……今日だったら断れたのに。
レオの妹さんのことも心配だ……しかし、この状況でクラブにノコノコ行くのも……そう私が悩んでいると、家令が心配そうに尋ねてきた。
「そんなにその社交クラブが嫌なんですか?」
「え?私、何か口に出してた?」
「いえ、かなり難しい顔をして悩んでいらしたので」
私は思わず皺の寄った眉間を隠した。
「嫌……という訳ではないの。ただ……」
「例の若者の件ですか?」
家令に言われて、心臓がドキリと跳ねた。
「な、何故それを?」
動揺しちゃダメだと思うのに、大切なところで言葉を噛んでしまった。
「いえね、執事が言ってたんですよ。『どうも奥様は平民の若者と懇意になってるらしい。旦那様の居ない隙に何をしているのか』と。奥様のその態度を見るに、社交クラブと何か関係があるのでは?と、カマをかけてみました。当てずっぽうでしたけど」
「私、貴族失格ね。顔に出しちゃダメだわ」
「奥様にも何かしら後ろめたいことが?」
家令に言われて私は考える。後ろめたいことと言えば、あの社交クラブが実は男娼の集まる高級娼館であるということと、レオがブルーノに似ているという二点だ。
「別に貴方が考えているようなことはないわよ?」
「分かってますよ。私は疑っていません」
家令の言葉に私はおや?という気分になる。
「信じてくれるの?」
「奥様がブラシェール伯爵家のためにならない事をするとは思えません。正直、この家の事を一番考えてくださっているのは奥様です」
私はそう言われて嬉しくなった。
私のやりたい事を理解して評価してくれている人がいる。それだけでも、ここに嫁いだ甲斐があったというものだ。
私は家令のお陰で気分良く観劇に出かけることが出来た。
「ねぇ、デボラさん。あのジャムなんだけど、売っていただくことが出来ないかしら?」
カムデン夫人は私の顔を見るなりそう言った。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ。甘すぎないから主人も気に入ってしまって。もう他の店で買ったジャムでは満足してくれないの」
「そんな風に言っていただけて嬉しいですわ。ちょうど昨日、領地からまたジャムが届いたばかりですの。直ぐにご用意させていただきます」
「あ!ちゃんと料金は支払いますから」
カムデン夫人の言葉に私は手を小さく振った。
「とんでもない。いつもお世話になっているお礼です」
「ダメよ!領地のことを考えるのなら、付加価値をつけてちゃんと売ってあげなきゃ。せっかくあれだけ美味しいんですもの。きっと私と同じように『買いたい』と言い出す人は現れる。皆に足元を見られない為にもお金は取るべきだわ」
「夫人……」
私は夫人の言葉を噛み締めていた。いつの日か王都で売り出すつもりだったが、まだ早いと思っていたことも確かだ。
だが、夫人の言葉に私は勇気を貰う。お金を出してでも食べたいと思って貰える物を作ったのだという自信を得ることが出来た。
「いい?貴族なんて希少な物にお金を支払いたくなるものなの。ブラシェール伯爵領の果物でしかあの味は出せない……宣伝文句になるわ」
「ありがとうございます。私もうちの領の果物の味に自信を持っていましたが、そう言っていただけて本当に嬉しく思います。……直ぐに王都に店を構える準備に入りますわ」
少し先の計画だったが、私は前倒しにすることを一人心に決めた。
観劇から帰った私は早速ジャムの店を開く計画を実行するべくハロルドに手紙を書いた。
店を開くなら、もっと多くのジャムを作る必要がある。今は閉鎖してしまった果樹園を再建出来るのか……確認する必要があった。
「あとは資金ね……」
私の呟きに家令が反応した。
「ブラシェール伯爵家にはそれぐらいの資金はありますよ」
「分かってるのよ……。でもあまり使いたくないかなって。失敗したら丸々負債になるもの」
「ふむ……。私に少しツテがあるのですが……少し時間を下さいますか?」
家令の顔を見る。彼は微笑むと言った。
「実はうちの祖母の店が閉店しましてね。どうするかな……と父に相談されていたんです。それから少し時間が経っているので、あまり期待しないでいただきたいのですが……」
「そのお店って……?」
「パン屋でした。祖母が亡くなってそのままに。そこを使えれば……」
「それなら新しく店を建てる必要もないし……!」
私は思わず立ち上がっていた。
「落ち着いてください。まだどうなるか分からないんですから」
家令は苦笑した。
「わ、分かってる。ごめんなさい……」
私は恥ずかしくなって、少し頬を染め、改めて腰掛けた。
家令はクスクス笑いながら、私に言った。
「奥様は本当に……ブラシェール伯爵家のことを考えてくださってますね」
「当たり前でしょう?」
「当たり前を当たり前に出来ること。これって意外と難しいんですよ」
「うーん……そうかもしれない。でも、私にはこれが普通」
私はそう言ってニッコリと微笑んだ。
「ところで奥様。明日はどんなドレスをお召しになりますか?」
そう言われて、私は明日の社交クラブのことを思い出して、ため息をついた。
「まぁ!良くおいで下さいましたわ!」
社交クラブの扉を開きホールに顔を出した私を出迎えたのはマドリー夫人だった。
「お招きいただき、ありがとうございます」
マドリー夫人は私の頭から爪先までをサッと眺めると、ニッコリ微笑んだ。
「素敵なドレスですわね。貴女の美しさを引き立ててるわ~」
そう言ってマドリー夫人は口元を扇で隠す。……少し地味だったかしら?私は今日のドレスをほんの少し後悔した。
「ありがとうございます。マドリー夫人も相変わらずお美しく── 」
「止めて!」
私の鼻先に彼女の扇の先端がかすめる。
「えっ……?」
「その名前で呼ばないで。ここではその名を聞きたくないの」
どうも『マドリー夫人』と呼んだことを責められているようだ。
「では何とお呼びすれば……」
「ここでは『姫様』と呼ばれてるの……って貴女にそう呼ばれても嬉しくはないから……そうね、オーナーでいいわ」
『姫様』と聞いて笑わなかった私を誰か褒めてほしい。