愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第46話

レニー様は私からそっと顔を逸らすと「大したことはない。治療が大袈裟なだけだ」とボソッと小声で呟いた。

「何があったのです?」
家令もレニー様の荷物を抱えたまま、心配そうに眉根を寄せた。
しかし、レニー様は恥ずかしそうに口を尖らせると言った。

「剣の稽古で── 」

「まさか斬られたのですか?」
私は怖くなって、口を手のひらで覆う。その手は微かに震えていた。

「大丈夫、模造刀だ。刃は潰してあるが、少しボーッとしてて」

私はそれを聞いて少しだけホッとした。

「骨は?」

「折れているかもしれないから、安静にと言われ、このザマだ。医者が大袈裟なんだ」

レニー様は怪我をしたことが恥ずかしいようだ。ずっと不貞腐れた子どものような顔をしていた。

「夕食には片手で食べられる物を用意してちょうだい」

私がメイドに指示すると、彼女は早足で厨房へと向かう。

レニー様は、改めて私に顔を向けた。

「デボラ、夕食後に少し話があるんだ」

「お話ですか?」

正直、レニー様の怪我で私の昨晩の怒りは有耶無耶になってしまっていたが、素直に許す気にもなれない。……私って結構心が狭いのかもしれないと自分に苦笑した。
答えを待つレニー様は私の顔色を窺っているようだ。

「明日はバザーで早起きしなければならなくて……その後でもよろしいですか?」

もしまた喧嘩にでもなれば、モヤモヤした気分で皆の前に立たなければならない……それを思うと今日は遠慮したい気分だった。

「あぁ……そうか、バザーだったな」

「はい。レニー様も怪我をされたばかりです。今日はゆっくりお休みになってください」

「── 分かった」

レニー様はまだ何か言いたげだったが、「旦那様のお出迎えせず申し訳ありません!眠っておりました!」と頭を下げながら現れたハロルドの大声に全てが掻き消されていた。


翌朝、私は早起きをすると、テキパキとバザーの準備を始めた。馬車に昨日用意した品物を詰める。
ハロルドもニコニコとしながら「皆様が喜んで下さると良いですね」と嬉しそうだ。

ブラシェール伯爵領では、少しずつ荒れた果樹園に手を加え再生し始めた領民が増えてきたという。私に期待してくれているのだとハロルドは言っていた。その期待に応えなければならない。私は気合を入れ直した。


教会に到着すると、司教が笑顔で出迎えてくれた。

「今日のバザーはかなり規模が大きくなりそうです。楽しみですね」
司教の言葉に私も笑顔で返した。

バザーの売り上げは全て寄付となる。とにかく今日はブラシェール伯爵領産の果物の美味しさを知って貰うことが重要だ。ここで宣伝してお店がオープンした時の集客に繋げたい。── おじ様との約束の時まであと約半年。あの領地を買い付けるだけの資金を集められるかどうか、今は不安と期待が半々だ。


午前中は王都に住む貴族の方々がバザーに出店した店先を覗いて回る。
私がお茶会でジャムを手土産として渡したご婦人方はこぞってジャムを購入してくれた。

「うちの子ども達が、また食べたいってずっと言っていたの」

私はジャムの瓶を袋に詰めながら答える。

「実は王都に店を開こうと思っておりまして。中に地図を書いたカードを入れておりますので、是非」

何度も睡魔に襲われながら、書いた手書きのカードは数百枚。手が腱鞘炎になるかと思った。

「お店を!?それは楽しみだわ」

こんなやり取りを何度続けただろうか。ジャムもパウンドケーキも果実飴も順調に売り上げを伸ばした。
特に果実飴は貴族のご令嬢達に大人気だ。見た目の可愛らしさも相まって、飛ぶように売れる。

ハロルドが私に耳打ちした。

「果実飴がなくなりそうです。追加を作らせるように、今使用人を屋敷へ戻らせました」

確かに今日手伝ってくれていたメイドが一人いない。ハロルドの素早い対応に感謝した。


「こんにちは、はじめまして」

そろそろ正午になろうかという頃、私達の店に顔を覗かせた一人の男性がにこやかに私に挨拶をしてきた。

「はじめまして、ようこそ。色々と取り揃えておりますので、ご覧ください」

私もにこやかに挨拶を返す。その男性はマーマレードジャムを手に取りながら私に尋ねる。

「レニーの怪我の様子はどうですか?」

私はその質問におや?という表情になった。

「もしや、同僚の方でいらっしやいますか?」

「同僚っていうか……一応同期ですが、部下になりますかね。ギルバートって言います」

彼はそう口にしたが嫌味っぽい感じでは無かった。

「手首は腫れているようですが、本人は大したことはないと」

私の答えに彼は少し前に乗り出して、私に小声で尋ねる。

「あの……なんかあいつとありました?」

私は直ぐに夜会の夜の一件を思い出したが、それを素直に口にするのは流石に憚られた。

「いえ……別に」

「そうですか……。あいつ昨日はずっと心ここに有らずで。目の下のくまは酷いし、ボーッとしてるしで、あのザマですよ。こっぴどく団長にも注意されてましたがね」

それはレニー様も恥ずかしそうに話していた。家令も『生きる屍』のようだったと言ったことを思い出す。……私が浮気したことがそんなに許せないのかしら?いや、浮気はしてないけど!

「本人も少しボーッとしてたと言ってましたけど……」

「少しどころじゃないですよ!魂を何処かに置き忘れて来たのかと思うほどで。前日まで夜会でソワソワしてたかと思ったら翌日はまるで幽霊みたいだし、何かあったのかと思って」

私は答えに困ってしまった。その時、小柄な女性が「ギルバート!」と言って走って来た。

「あぁ、レベッカ」
レベッカと呼ばれた女性は息を切らせながら、ギルバート様の隣に並び立つ。彼は彼女を紹介するように手で指し示した。

「彼女はレベッカ。俺の婚約者です。こちらはブラシェール伯爵夫人だ」

「はじめまして。デボラと申します」
私は握手の為に手を出した。するとレベッカは少し恥ずかしそうに私の手を取り言った。

「こうしてお話するのは初めてですが、私、デボラ様のこと、知っていましたの……一方的に憧れていまして」

憧れ?私は少し驚きつつ、首を傾げた。彼女は続ける。

「学園で、何度かお見かけしたことがあって。学年は違ったのですが、デボラ様とブルーノ様は私達の憧れの的でした」

初めて聞く話に面食らう。

「私達が……?」

「はい。お二人は美男美女の上に頭が良くて。その上とても仲良しでしたでしょう?羨ましがる方が大勢いらっしゃいました。……でも、卒業を待たずにブルーノ様があんな……」
彼女はそこまで言うと俯いた。言いたいことは分かっている。彼の死を彼女も悲しんでくれているのだ。

「……貴女も彼の死を悼んでくれているのね。ありがとう」

彼女は顔を上げた。その目は私を哀れんでいるようにも見える。

「私もお二人みたいな関係を築きたいと……ギルバートと婚約した時に決意したんです。でも……」
彼女はそこで言い淀んだ。

「どうした?」
ギルバート様も心配そうに婚約者を見た。

「政略結婚とはいえ、デボラ様がお辛い思いをしていないかと心配で。だってブルーノ様以上にデボラ様のことを大切にしている方なんて……っ!」

そこまで彼女が言った時、── ドサッという音がして、私達はその音の方へと視線を向けた。

そこには果実飴をたくさん入れた籠を地面に落とし、真っ青な顔をしたレニー様がいた。

ギルバート様とレベッカ様は一瞬『しまった!』という表情を浮かべたが、直ぐにギルバート様が軽く片手をあげてレニー様に挨拶した。

「よぉ!レニー。安静にしろって言われてただろ?腕は大丈夫か?」

レニー様は徐に地面に落ちた籠を拾う。後ろから二人の料理人も籠一杯の果実飴とパウンドケーキを抱えて歩いて来た。

改めてレニー様は答えた。

「大したことはない。デボラ……手伝いに来た」

ハロルドは急いでレニー様の元に向かい、籠を受け取っている。
何となく私達の間に微妙な空気が流れていた。
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