クズ御曹司の執着愛
伊織は険しい表情のまま、振り返った。
「……手短にお願いします」

忠相は一歩、距離を詰める。
「お前には、俺の恋人になってもらう」

「……は?」

一瞬、空気が止まる。

「なにそれ。悪い冗談?」
「冗談じゃない」

伊織の眉がきつく寄った。
「さっきの女性のことを言ってるの?」

「ああ」

「だからって、どうして私があなたの恋人にならなきゃいけないの?」

声が跳ね上がる。
忠相は視線を逸らさず、低く言った。

「付きまとわれて困っているんだ」

「それ、私には関係ない!」

はっきりとした拒絶。
だが忠相は一歩も引かなかった。

「お前にとっては、な」

伊織が睨み返す。
「……どういうこと?」

忠相は一度、息を整えた。
仕事の顔に戻った声で続ける。

「このプロジェクトには、多くの人間が関わっている。
お前のところの、あの小さなデザイン事務所が滝沢の仕事を請け負っていることを、面白く思っていない連中もいる」

伊織の喉が、かすかに鳴った。

「お前に危害を加えようとする輩が、いないとは言い切れない」

「……そんな」

「これはな、伊織」

忠相の声が、ほんのわずかに揺れる。

「お前を守るためでもある」

伊織は首を振った。

「仮に、私があなたの恋人になったら……それこそ公私混同じゃない。
周りがやりづらくなるだけじゃないの?」

忠相は即座に答えた。

「そんなことは、どうでもいい」

その言葉に、伊織が息を呑む。

「俺にとっては、お前を守ることが先だ」

強引で、身勝手で、けれど迷いがない。
伊織は何も言えず、無意識に忠相を見上げていた。

その瞬間。

静まり返ったリビングに、伊織の携帯電話の着信音が響いた。

「……大塚社長からだわ。ちょっと待って」

伊織は忠相にそう告げ、携帯を耳に当てた。
「もしもし、森田です」

受話器の向こうから、弾んだ声が返ってくる。

「遅くにごめんな、森田。今、話して大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」

「森田、本当にありがとう」
「……何でしょう? 私、何かしましたっけ?」

伊織の問いに、大塚は一拍も置かずに続けた。

「森田がこの仕事を引き受けてくれただろう? そのお礼だって、沢口常務から謝礼をいただいたんだ」

「謝礼……ですか?」

戸惑いながらも相槌を打つ。
伊織は無意識に、リビングに立つ忠相を見上げた。

「俺が育った養護施設にね、多額の寄付をしていただいたんだ。
これで、長年望んでいた建て直しができそうでさ」

「……え?」

「君も知っているだろう?」

伊織は、何と答えればいいのかわからなかった。
沈黙を気にも留めず、大塚は興奮したまま言葉を重ねる。

「沢口常務が言っていたよ。
彼の大切な人の夢を、かなえてくれたからだって」

「……え?」

「君がインテリアデザイナーになったことだよ」

胸の奥が、ひやりと冷える。

「君と沢口常務は、大学時代の同級生なんだろう?
お互いをよく知っているそうじゃないか。
まさか、森田が常務にとってそんな存在だとは思いもよらなかったよ」

言葉が、ひとつずつ伊織に突き刺さる。

「ああ、ずいぶん長く話してしまったな」

伊織は、精いっぱい平静を保とうとした。
「……そうですか」

「ありがとう。本当にありがとう」

上機嫌な声でそう告げると、大塚は通話を切った。

「じゃあ、また」
「はい、社長。お疲れ様です」

短い発信音が響き、通話は終了した。

伊織は携帯を下ろしたまま、しばらく動けなかった。



伊織は俯いたまま、大塚との会話を反芻していた。

養護施設の建て直しが、どれほど大塚にとって切実な願いだったか。
そのために、彼がすでに何枚もの図面を描き、時間をかけて構想してきたことも、伊織は知っている。

恩のある大塚の願いが叶った。
それが嬉しい――それは、嘘ではない。

けれど同時に、胸の奥から、別の感情がせり上がってきた。

忠相に対する、はっきりとした怒り。

知らされていなかったこと。
伊織の拳が、怒りに震える。
堪えようとしたはずの感情が、視界を滲ませた。

「……っ」

怒りからくる涙が、頬を伝う。

その様子に気づいた忠相が、低く声をかける。
「伊織……どうした。なぜ泣く?」

伊織は、勢いよく顔を上げた。
濡れた瞳のまま、忠相を睨みつける。

「……これは、何なの?」

声が震れる。
問いかけは、責めでも、懇願でもない。

理解を求める、最後の線だった。
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