クズ御曹司の執着愛
「……どういう意味だ?」

忠相の低い声が落ちる。
伊織は唇を噛みしめたまま、感情を抑えることをやめた。

「ここまでして、私に復讐したいってこと?」

忠相の眉がわずかに動く。
「……復讐?」

その一語が、伊織の中で何かを決定的に壊した。

「だって、そうでしょう。
“雪辱を果たす”って言ってたじゃない」

伊織は笑おうとして、失敗した。

「だったら……抱かれてあげる」

そう言い放つと同時に、伊織の声は涙に滲む。
感情が溢れ、止める術を失ったまま、彼女は震える指で服に手をかけた。

それは誘いではなかった。
自分を投げ出すことでしか、この状況を終わらせられないと追い詰められた末の、破壊的な選択だった。

「伊織、やめろ」

忠相の声が、鋭く響く。
だが伊織は、もう止まれなかった。

次の瞬間、忠相は伊織の手首を掴み、そのまま自分の胸元へ引き寄せた。
抵抗はない。
抱き寄せられた伊織の体から、細かな震えがそのまま伝わってくる。

忠相は、力強く、しかし逃がさぬように彼女を抱きしめた。
伊織の涙が、忠相のワイシャツを静かに濡らしていく。

「……伊織」

その名を呼ぶ声は、痛ましいほどにいとおしさを含んでいた。

「どうして止めるの……?」
震える声が、胸元から漏れる。
「あなたは、ずっと私を恨んでいたんでしょう?」

「違う」

即答だった。

「……だったら、どうして?」

混乱を隠せないまま、伊織が問い返す。
忠相は、彼女の耳元に顔を寄せ、低く囁いた。

「好きだ。伊織」

「……え?」

「ずっと、好きだった」

その言葉と同時に、忠相は伊織の顎に手を添え、ためらいなく唇を重ねた。
逃がさぬように、何度も。
伊織が抗う力を失うまで、静かに、確かめるように。

一日の緊張と感情が一気にほどけ、伊織の体から力が抜けていく。
忠相の腕の中で、遠のく意識を感じながら、伊織は目を閉じた。

「……伊織?」

忠相は彼女の呼吸を確かめ、低く独りごちる。
「……眠ったか」

そっと横抱きにすると、忠相は伊織を寝室へ運び、ベッドに静かに寝かせた。



翌朝。
伊織が目を覚まし、静かに寝室を出ると、リビングルームのソファに忠相が座ったまま眠っているのが目に入った。

背もたれに頭を預け、ネクタイは外しているが、姿勢は崩れていない。
その不自然なほど律儀な姿に、伊織は一瞬、足を止めた。

気配に気づいたのか、忠相がゆっくりと目を開ける。
「……起きたか」

そう言って立ち上がると、迷いなく伊織を抱き寄せた。

「気分はどうだ」
低い声が、確かめるように続く。
「今日は……仕事、できそうか?」

伊織は言葉を探す代わりに、小さくこくんとうなずいた。

「そうか」

それだけで十分だとばかりに、忠相は腕を解く。

「じゃあ、後でな」

そう言って玄関へ向かいかけ、ふと思い出したように振り返った。

「俺がここで夜を明かしたのは、鍵を持っていないからだ」
淡々と、言い訳のようでもあり、説明のようでもない口調で続ける。
「お前が寝ている間に、施錠されていないのは不用心だと思ってな。
起きるまで、ここにいようとしただけだ」

一拍置いて、付け加える。

「……邪魔したな」

それだけ告げると、忠相は玄関の扉を開け、振り返らずに去っていった。



シャワーを浴びながら、伊織は昨夜、自室で起きたことを思い返していた。

大塚が電話で口にした言葉。
忠相の大切な人――それが、自分だということ。

体を差し出したあの瞬間。
それでも忠相は伊織を抱きしめ、ただ、ずっと好きだったと告げたこと。

何度も重ねられた口づけは、支配的でも乱暴でもなく、驚くほど静かで、優しかった。
そして、ベッドまで運び、伊織が目を覚ますまで、守るようにここにいてくれたこと。

どうして?

湯気の向こうで、答えは何ひとつ見つからない。

意味をつなごうとすればするほど、すべてがちぐはぐだった。

髪をドライヤーで乾かしながら、同じ問いを何度も繰り返す。
けれど、いくら考えても、輪郭は浮かび上がらない。

――わからない。

伊織は、ふっと息を吐いた。
そして、考えるのをやめた。
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