クズ御曹司の執着愛
「森田様、お好きな品ものはございますか?」

「ないです。……いつも機能性ばかりを重視してましたから」

「そうでございますか。それでは、私がいくつか見繕いさせていただいてもよろしいですか?」

伊織は胸の中でつぶやいた。
(ええい、女は度胸よ!)
「はい、よろしくお願いします」

「かしこまりました」

後藤は迷いなく動いた。
用意されたのは、上質なルームウェアに、カジュアルなワンピース、きちんとしたスーツ。
そこに靴、バッグ、アクセサリーが次々と加わり、床一面に世界が広がっていく。
そして最後にドレスの試着。
伊織は「ドレスは五着までにしてください」と念を押したので、後藤は忠相を呼びに行った。

一着目を着て試着室の扉を開けた瞬間、視線の先に忠相がいた。
思わず頬が熱くなる。

「それは、あまりに合ってないな。……次」
忠相は即断即決で、まるでオーディションの審査員のようだった。

結局、三着を選び抜かれ、その店を後にする。
慣れない買い物に、伊織の肩はどっと重くなった。
「ふう……やっと終わった」

思わず漏れた本音に、忠相は即座に返す。
「まだ終わりじゃない。もう二軒あるぞ」

「えーっ……」

「これも仕事だ。文句を言うな」

次に足を踏み入れたのは、ランジェリーショップだった。
ここでも丁重に迎えられ、忠相の指示で大量に購入されていく。
さすがに、ここでは忠相が試着室に現れることはなかったが。



店を出ると、伊織は思わず声を漏らす。
「もう一軒、よね?」

「ああ。もう一軒だ」

「……それで終わりよね?」
念を押すように忠相を見上げる。

「ああ。これで最後だ」

そう言って、忠相は自然な仕草で伊織の手を取る。
二人が足を止めたのは、高級ジュエリー店の前だった。

「今日の仕事はこれが最後だ。しっかりやれよ」

「やるわよ! ……うるさい!」
売り言葉に買い言葉、伊織はぷいと顔を背けた。

だが、そのまま手は離されなかった。

店内に足を踏み入れると、すぐに上階の特別室へと案内される。
扉が閉まった瞬間、外の喧騒は遮断された。

厳かな空気に満ちた部屋。
柔らかな光を受けて、宝石たちが静かに、しかし確かな存在感を放って並んでいた。

店員が恭しく一礼した。
「沢口様、森田様。この度は誠におめでとうございます。
本日は婚約指輪と結婚指輪のご購入に、私どもの商品をお選びくださり、心より御礼申し上げます」

「……っ!」

伊織は思わず息を呑み、忠相を振り返った。

「ねえ、忠相……結婚指輪は……後でいいんじゃないかしら?」

声を抑えながらも、目が必死に訴えている。
(クズ男とおそろいの結婚指輪なんて、絶対いや!!)

忠相は穏やかに微笑んだ。
その余裕が、なおさら腹立たしい。

「伊織、遠慮する必要はない」

「でも……」

伊織はわざと困ったように視線を伏せる。

忠相も一瞬、困ったような表情を浮かべた。
だが次の瞬間、伊織を捉える眼差しには、逃がさぬ圧が宿る。

「覚悟を決めてきたはずじゃなかったのか?」

(このクズ男……口を開けば“覚悟、覚悟”って……!)

胸の内で毒づきながらも、伊織は無理に口元を緩めた。

「そうね……ごめんなさい。あまりにも、急ぎすぎな気がしてしまって」

忠相は軽く首を振り、言い聞かせるように低く言う。
「結婚する以上、一度に揃えたほうが合理的だ。時間も無駄にならない」
一拍置き、付け加えた。
「……好きなものを選べ」

「……うん、ありがとう」

素直さを装った声とは裏腹に、伊織の胸の奥に小さな火が灯る。
(こうなったら、本当に自分が心から好きなものを選んでやる)

「では、まずは婚約指輪からでございますね」

店員がケースを並べ、一つひとつ丁寧に蓋を開いていく。

忠相が淡々と告げた。
「伊織。入籍までは、毎日着けてもらう。仕事の時もだ。
その前提で選べ」

「……え? 仕事の時も?」

「そうだ」
一切の迷いもなく続ける。
「着けたくないなら、結婚指輪でも構わない。……今夜、入籍してもいい」

「……」

伊織は言葉を失い、視線を落とした。

やがてケースの中から手に取ったのは、
プラチナのエメラルドカット・ダイヤモンドリング。
主張しすぎない、研ぎ澄まされた輝きだった。

指に通すと、驚くほど自然に馴染む。

忠相が横から覗き込む。
「それでいいのか?」

「シンプルだし……何にでも合わせられるから。これがいいかな」

「わかった」

忠相はすぐに店員へ視線を向け、淡々と言った。
「同じデザインで、もうワンサイズ、ダイヤを大きいものにしてくれ」

「かしこまりました」

店員が微笑み、即座に頷く。

伊織は胸の奥で深く息を吐き、心の中で呟いた。

(……もう、なるようになれ、か)



結婚指輪は驚くほどすんなり決まった。
忠相とおそろいのデザイン。ただし、伊織のリングには、彼の希望で小さなダイヤモンドがひとつ埋め込まれている。

(……これで終わり、よね)

伊織は出された紅茶に口をつけ、ひと息ついた。
その時だった。

「刻印はどうなさいますか?」
店員の声に、伊織はカップを持つ手を止める。

忠相が懐から小さな紙片を取り出し、すっと差し出した。
「これを入れてくれ」

店員は恭しく受け取り、目を落とす。

伊織の視線も、思わずその紙片に吸い寄せられた。

そこに記されていたのは――

Totus tuus
そして、
T to I

「……っ」

伊織は息を呑んだ。

「かしこまりました。刻印には三週間ほどお時間をいただきますが、よろしいでしょうか?」

忠相は何事もなかったようにうなずいた。
「ああ、構わない」

伊織の胸の奥で、言葉にならない動揺が波紋のように広がっていった。
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