クズ御曹司の執着愛
真樹は背筋を正し、二人を真剣な眼差しで見据えた。
「……佐藤の件で、二人に話しておきたいことがある」
忠相がすぐに応じる。
「佐藤会長と、その息子の専務が、滝沢の保有するビジネスに執着しているという話ですか?」
だが真樹は、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、違う」
「もっと……個人的なことだ」
「個人的なこと?」
伊織が思わず問い返すと、室内の空気がぴんと張りつめた。
時計の秒針の音までが、やけに大きく響く。
真樹は深く息を吸い、伊織をまっすぐに見つめた。
「伊織さん」
「俺と美和子が、再婚同士だということは知っているね?」
「はい」
伊織は、静かに頷いた。
「俺には……すでに亡くなった妻がいた」
「名前は、爽子(さわこ)だ」
真樹は一呼吸おいてから、静かに語り始めた。
「……爽子には、縁談がいくつもあったらしい。両親は政略結婚を望んでいたが、無理強いはしなかった。
政略であっても、爽子自身が了承した相手にしか嫁がせない——そういう考えの人たちだった」
伊織は、小さく頷く。
「だから、俺と爽子の結婚も政略ではあったが……彼女が自分で選び、受け入れたものだった」
その声には、懐かしむような温度が混じっていた。
「一方で……佐藤信一は違った。何度も縁談を持ちかけてきたが、爽子はどうしても首を縦に振らなかった」
「彼女ははっきり言っていたよ。“男性としてだけでなく、人としても魅力を感じない”と」
忠相の眉間に、深く皺が寄る。
真樹は淡々と続けた。
「その直後、俺との婚約が発表された。それ以来、佐藤は俺を逆恨みしている」
「爽子を得られなかったのは、俺のせいだと……な」
伊織は、静かに息を吐いた。
「……つまり、長年の怨恨、ということですね」
真樹は重く頷いた。
「だから今度は、自分の娘が忠相に執着していることを利用している」
重苦しい沈黙が落ちる。
「もっとも、乗っ取りなど不可能だ。滝沢の基盤は揺るがない」
「だが」
鋭い視線が、伊織へ向けられた。
「週刊誌を使い、忠相を貶め、伊織さんを“悪女”に仕立て上げる」
「それだけで、社会的なダメージは十分に与えられる」
伊織はその視線を正面から受け止め、背筋を伸ばす。
「……狙いは、揺さぶりですね」
真樹は短く頷いた。
沈黙をやわらげるように、美和子が小さく息をつく。
「……あの娘の気持ちはね、恋愛というより憧れよ」
「本人はまだ気づいていないけれど」
伊織が、わずかに目を瞬かせる。
美和子は伊織に向かい、穏やかに微笑んだ。
「憧れは、現実に触れた瞬間に崩れるもの」
「あなたと忠相君の絆は、そんなものとは比べものにならないわ」
伊織は静かに頷いた。
真樹は視線を忠相に移し、低く告げる。
「……忠相。油断するな」
「わかっています」
短い返事に、覚悟が滲んでいた。
それ以上、言葉は交わされなかった。
やがて夜も更け、二人は真樹と美和子に礼を告げて家をあとにする。
帰る先は、真樹たちの住むマンションに隣接した、自分たちの住まい。
静かな夜道を並んで歩きながら、ようやく“婚約者としての暮らし”が始まるのだと、実感が滲んでくる。
マンションに戻ると、外のざわめきが嘘のように消えていた。
玄関の灯りに照らされ、伊織が小さく振り返る。
「……忠相、お疲れさま」
「伊織こそ」
二人は顔を見合わせ、思わず苦笑する。
「ああ……疲れたな」
コートを脱ぎながら、伊織が言った。
「じゃあ、お風呂を沸かしてくるね」
「……ああ」
ソファに腰を下ろした忠相は、彼女の後ろ姿を静かに見送る。
ただ一緒に帰り、同じ家の空気を吸う。それだけで、張り詰めていたものがほどけていく。
浴室から、伊織が顔をのぞかせた。
「……お風呂、沸いたから。入ってきていい?」
忠相は立ち上がり、少しだけ口元を緩める。
「ああ」
歩み寄り、低く言った。
「今夜は……一緒だな」
伊織の頬が、ほんのり赤く染まる。
忠相はその手を取り、そっと指を絡めた。
夜は、静かに、深く、更けていった。
「……佐藤の件で、二人に話しておきたいことがある」
忠相がすぐに応じる。
「佐藤会長と、その息子の専務が、滝沢の保有するビジネスに執着しているという話ですか?」
だが真樹は、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、違う」
「もっと……個人的なことだ」
「個人的なこと?」
伊織が思わず問い返すと、室内の空気がぴんと張りつめた。
時計の秒針の音までが、やけに大きく響く。
真樹は深く息を吸い、伊織をまっすぐに見つめた。
「伊織さん」
「俺と美和子が、再婚同士だということは知っているね?」
「はい」
伊織は、静かに頷いた。
「俺には……すでに亡くなった妻がいた」
「名前は、爽子(さわこ)だ」
真樹は一呼吸おいてから、静かに語り始めた。
「……爽子には、縁談がいくつもあったらしい。両親は政略結婚を望んでいたが、無理強いはしなかった。
政略であっても、爽子自身が了承した相手にしか嫁がせない——そういう考えの人たちだった」
伊織は、小さく頷く。
「だから、俺と爽子の結婚も政略ではあったが……彼女が自分で選び、受け入れたものだった」
その声には、懐かしむような温度が混じっていた。
「一方で……佐藤信一は違った。何度も縁談を持ちかけてきたが、爽子はどうしても首を縦に振らなかった」
「彼女ははっきり言っていたよ。“男性としてだけでなく、人としても魅力を感じない”と」
忠相の眉間に、深く皺が寄る。
真樹は淡々と続けた。
「その直後、俺との婚約が発表された。それ以来、佐藤は俺を逆恨みしている」
「爽子を得られなかったのは、俺のせいだと……な」
伊織は、静かに息を吐いた。
「……つまり、長年の怨恨、ということですね」
真樹は重く頷いた。
「だから今度は、自分の娘が忠相に執着していることを利用している」
重苦しい沈黙が落ちる。
「もっとも、乗っ取りなど不可能だ。滝沢の基盤は揺るがない」
「だが」
鋭い視線が、伊織へ向けられた。
「週刊誌を使い、忠相を貶め、伊織さんを“悪女”に仕立て上げる」
「それだけで、社会的なダメージは十分に与えられる」
伊織はその視線を正面から受け止め、背筋を伸ばす。
「……狙いは、揺さぶりですね」
真樹は短く頷いた。
沈黙をやわらげるように、美和子が小さく息をつく。
「……あの娘の気持ちはね、恋愛というより憧れよ」
「本人はまだ気づいていないけれど」
伊織が、わずかに目を瞬かせる。
美和子は伊織に向かい、穏やかに微笑んだ。
「憧れは、現実に触れた瞬間に崩れるもの」
「あなたと忠相君の絆は、そんなものとは比べものにならないわ」
伊織は静かに頷いた。
真樹は視線を忠相に移し、低く告げる。
「……忠相。油断するな」
「わかっています」
短い返事に、覚悟が滲んでいた。
それ以上、言葉は交わされなかった。
やがて夜も更け、二人は真樹と美和子に礼を告げて家をあとにする。
帰る先は、真樹たちの住むマンションに隣接した、自分たちの住まい。
静かな夜道を並んで歩きながら、ようやく“婚約者としての暮らし”が始まるのだと、実感が滲んでくる。
マンションに戻ると、外のざわめきが嘘のように消えていた。
玄関の灯りに照らされ、伊織が小さく振り返る。
「……忠相、お疲れさま」
「伊織こそ」
二人は顔を見合わせ、思わず苦笑する。
「ああ……疲れたな」
コートを脱ぎながら、伊織が言った。
「じゃあ、お風呂を沸かしてくるね」
「……ああ」
ソファに腰を下ろした忠相は、彼女の後ろ姿を静かに見送る。
ただ一緒に帰り、同じ家の空気を吸う。それだけで、張り詰めていたものがほどけていく。
浴室から、伊織が顔をのぞかせた。
「……お風呂、沸いたから。入ってきていい?」
忠相は立ち上がり、少しだけ口元を緩める。
「ああ」
歩み寄り、低く言った。
「今夜は……一緒だな」
伊織の頬が、ほんのり赤く染まる。
忠相はその手を取り、そっと指を絡めた。
夜は、静かに、深く、更けていった。