クズ御曹司の執着愛
「もしもし、大塚社長。いかがなさいましたか?」
受話器の向こうから、大塚の沈んだ声が届いた。
「森田……大変なことになっているな。
こんな時にすまないんだが、しばらく、こちらには来ないようにしてくれ」
「え……?」
思わず漏れた伊織の声が、空気に落ちる。
「連日、マスコミの連中が事務所に押し寄せている。
今のところは何とか追い払えているが……君が出社してきたら、今までどころの騒ぎでは済まないだろう」
胸の奥が、きゅっと音を立てた気がした。
だが伊織は一瞬で呼吸を整え、声の揺れを抑える。
「……わかりました。
社長、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いや、森田は気にしなくていい」
大塚はきっぱりと言った。
「滝沢会長からの仕事を受けたのは、俺の判断だ」
その言葉に、伊織の瞳がかすかに揺れる。
守られているという事実が、胸に静かに沁みた。
礼を告げ、伊織はゆっくりと通話を終えた。
だが、胸中は決して穏やかではなかった。
実際には、心ない言葉は否応なく耳に届いている。
噂、揶揄、好奇の視線。
何を言うべきか、何を言わないべきか――選ぶことすら許されず、ただ沈黙を守るしかない。
伊織はあらためて、自分がいま対峙しているものの大きさを思い知った。
沈黙は、守りである。
だが同時に、逃げにも見える。
しかもその余波は、自分だけではない。
周囲の人々にまで、確実に影を落としている。
(……なのに、私は何も言えない)
その事実が、胸を締めつけた。
焦燥と苛立ちが、言葉にならないまま心の奥でせめぎ合い、
伊織を静かに、しかし確実に追い詰めていく。
会社の車は、夜の街を縫うように走り、伊織と忠相を乗せて自宅マンションへと向かっていた。
後部座席から覗くフロントガラスの向こうに、見慣れたエントランスが近づいてくる。
その瞬間、光が弾けた。
無数のフラッシュ。
カメラを構えたマスコミの群れが、人の壁のようにエントランスを塞いでいる。
伊織の胸が、わずかに強張った。
息が浅くなるのを自覚しながら、視線を伏せる。
いち早く異変に気づいた運転手が、ルームミラー越しに忠相へ問いかけた。
「沢口専務、別の入り口からお入りになりますか?」
忠相は一拍置き、短く答える。
「……そうしてくれ」
「かしこまりました」
運転手は迷いなくハンドルを切り、車は真樹と美和子が住むマンションの裏手へと回り込む。
表通りの喧騒が遠のき、やがて視界から光が消えた。
ゲートが静かに開き、車は地下駐車場へと滑り込む。
実は、真樹のマンションと忠相のマンションは、地下通路で繋がっている。
外の騒ぎとは切り離されたその通路を抜ければ、誰にも見られることなく自宅へ戻ることができた。
地上の混乱を背に、二人は静かな安全圏へと足を踏み入れる。
伊織は深く息を吐き、隣を歩く忠相を見上げた。
彼の横顔は、先ほどまでのフラッシュとは無縁で、凛とした静けさを纏っている。
地下道の冷たい照明が、二人の影を長く床に落としていた。
外の喧騒が嘘のように遠く、響くのは靴音だけだ。
その静寂を破るように、忠相のポケットの中でスマートフォンが震えた。
表示された名前を一瞥し、彼は迷いなく応答する。
「……真兄」
短い言葉を交わしただけで、忠相は通話を切った。
そしてすぐに伊織へと視線を向ける。
「真兄がお呼びだ。伊織、行くぞ」
その一言に、伊織の胸を冷たいものが走り抜けた。
(……嫌な予感しかしない)
だが、その感情を表に出すことはしない。
伊織は小さく息を整え、静かに頷いた。
忠相の隣を歩き続けながら、胸の奥でざわめく予感だけを抱えたまま。
受話器の向こうから、大塚の沈んだ声が届いた。
「森田……大変なことになっているな。
こんな時にすまないんだが、しばらく、こちらには来ないようにしてくれ」
「え……?」
思わず漏れた伊織の声が、空気に落ちる。
「連日、マスコミの連中が事務所に押し寄せている。
今のところは何とか追い払えているが……君が出社してきたら、今までどころの騒ぎでは済まないだろう」
胸の奥が、きゅっと音を立てた気がした。
だが伊織は一瞬で呼吸を整え、声の揺れを抑える。
「……わかりました。
社長、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いや、森田は気にしなくていい」
大塚はきっぱりと言った。
「滝沢会長からの仕事を受けたのは、俺の判断だ」
その言葉に、伊織の瞳がかすかに揺れる。
守られているという事実が、胸に静かに沁みた。
礼を告げ、伊織はゆっくりと通話を終えた。
だが、胸中は決して穏やかではなかった。
実際には、心ない言葉は否応なく耳に届いている。
噂、揶揄、好奇の視線。
何を言うべきか、何を言わないべきか――選ぶことすら許されず、ただ沈黙を守るしかない。
伊織はあらためて、自分がいま対峙しているものの大きさを思い知った。
沈黙は、守りである。
だが同時に、逃げにも見える。
しかもその余波は、自分だけではない。
周囲の人々にまで、確実に影を落としている。
(……なのに、私は何も言えない)
その事実が、胸を締めつけた。
焦燥と苛立ちが、言葉にならないまま心の奥でせめぎ合い、
伊織を静かに、しかし確実に追い詰めていく。
会社の車は、夜の街を縫うように走り、伊織と忠相を乗せて自宅マンションへと向かっていた。
後部座席から覗くフロントガラスの向こうに、見慣れたエントランスが近づいてくる。
その瞬間、光が弾けた。
無数のフラッシュ。
カメラを構えたマスコミの群れが、人の壁のようにエントランスを塞いでいる。
伊織の胸が、わずかに強張った。
息が浅くなるのを自覚しながら、視線を伏せる。
いち早く異変に気づいた運転手が、ルームミラー越しに忠相へ問いかけた。
「沢口専務、別の入り口からお入りになりますか?」
忠相は一拍置き、短く答える。
「……そうしてくれ」
「かしこまりました」
運転手は迷いなくハンドルを切り、車は真樹と美和子が住むマンションの裏手へと回り込む。
表通りの喧騒が遠のき、やがて視界から光が消えた。
ゲートが静かに開き、車は地下駐車場へと滑り込む。
実は、真樹のマンションと忠相のマンションは、地下通路で繋がっている。
外の騒ぎとは切り離されたその通路を抜ければ、誰にも見られることなく自宅へ戻ることができた。
地上の混乱を背に、二人は静かな安全圏へと足を踏み入れる。
伊織は深く息を吐き、隣を歩く忠相を見上げた。
彼の横顔は、先ほどまでのフラッシュとは無縁で、凛とした静けさを纏っている。
地下道の冷たい照明が、二人の影を長く床に落としていた。
外の喧騒が嘘のように遠く、響くのは靴音だけだ。
その静寂を破るように、忠相のポケットの中でスマートフォンが震えた。
表示された名前を一瞥し、彼は迷いなく応答する。
「……真兄」
短い言葉を交わしただけで、忠相は通話を切った。
そしてすぐに伊織へと視線を向ける。
「真兄がお呼びだ。伊織、行くぞ」
その一言に、伊織の胸を冷たいものが走り抜けた。
(……嫌な予感しかしない)
だが、その感情を表に出すことはしない。
伊織は小さく息を整え、静かに頷いた。
忠相の隣を歩き続けながら、胸の奥でざわめく予感だけを抱えたまま。