いつか、桜の季節に 出逢えたら
私は、この病院に運ばれた時、いわゆる「普通の」入院患者ではなかった。

川岸にうつ伏せに倒れていた私は、救急車で搬送されてきた時には、すでに心肺停止状態だったそうだ。
蘇生を試みられたが、状態は変わらず、医師によって死亡宣告がなされた。

死後の処置を待つ間、一時的にこのベッドに寝かされていたのだという。

稀に死後の蘇生例があるそうだが、理論上説明がつかないため、私のような事例は奇跡としか言いようがないと説明された。


蘇生後の数日は、ただただ、ぼんやりと過ごした。
脳や臓器の損傷、合併症や後遺症の確認をするために高度治療室で管理され、何もできなかったからだ。

自分のやるべきことがわからないから、ともいえる。
私は、自分が誰なのか、何が起こったのか、全く思い出せない。
いわゆる、記憶喪失というやつだ。

搬送されて、三日が経った頃だろうか。
重力が狂ったのかと思えるほどに重かった体も、次第に動かせるようになり、日常生活を送るのに支障がない程度には回復した。

合併症や後遺症が見られず、身体的には問題はないと判断されたため、一般病棟に移されることになった。

一般病棟では、予定された検査をこなしながら、淡々と毎日が過ぎていく。
起床、検温、朝食、検査、昼食、検温、リハビリ、夕食、就寝ーーこの繰り返しだ。

自由時間には、記憶の欠片を探した。
院内を散策して景色を眺めたり、部屋ではテレビを観て過ごす。
地域密着のローカル番組を観れば、馴染みのある何かが見つかるかもしれないと思ったが、無意味だった。

対して、全国版の番組には、馴染みがある。
むしろ、とても懐かしいとすら思えるのは、なぜだろう。

カーテンを開けて、窓の外を見ると、良い天気。
外の空気が吸いたくて窓を開けると、ぬくぬくとした病室に冷たい風が流れ込んでくる。
寒い季節は好きじゃないけれど、暖かい部屋に冷たい風が足元を抜け、だんだんと部屋の空気が入れ換わる感じは、とても好きだ。

午後になると、私の傍で泣いていた女性が面会に来る。
彼女によると、私の母親だという。

華やかな美人なので、娘である私の顔もさぞ美しかろうと期待して鏡を見たのだが、全く似ていなかった。

それもそのはず、実の母親ではなく、継母にあたる人だった。

血の繋がりはないのに、毎日面会に来ては、失った記憶の一部を補おうとしてくれる継母。
継母と聞いた時は、複雑な家族関係なのかと身構えたが、杞憂のようだ。
記憶を失う前の私は、幸せだったのかもしれない。

母によると、
私の名前は、(たちばな)絵梨花(えりか)
先日17歳になったばかりの高校二年生。
全くそうは思えないけれど、周りが言うのだから、そうなのだろう。

私は、大抵の事柄に関しては、記憶が残っている。
言葉の意味や使い方も理解しているし、言語能力にも問題はない。
新しく覚えたことを、すぐに忘れることもない。
物の名前は言えるし、一般的な知識も大抵のことは理解しているつもりだ。

自分の過去と周りの記憶だけが、すっぽりと抜け落ちたように思い出せない。
それがとても、気持ち悪い。
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