「硝子越しの恋」 — 届きそうで届かない距離感が、甘く苦いオフィスラブ —

第5章「距離の拡大」

 ——翌週。
 会議での衝突から数日が経っても、美咲の胸の奥に引っかかる感覚は消えていなかった。
 神崎と顔を合わせるたび、必要以上に緊張し、言葉を選びすぎてしまう。
 そのせいで、以前よりも会話が減っているのを自覚していた。

(……また何か言われるんじゃないかって、構えてしまう)

 そんな心境が伝わったのか、神崎も業務上の必要最低限しか話しかけてこなくなっていた。
 その距離感は、周囲から見れば冷静で適切なのかもしれない。
 けれど、美咲にとっては、胸の奥にぽっかりと穴が空くような感覚だった。

 

 昼休み、社食へ行こうとすると、廊下の先で神崎と宮園が並んで歩いているのが見えた。
 宮園は何か楽しそうに話し、神崎も珍しく口元を緩めている。

(……あんな表情、私には見せない)

 胸の奥がきゅっと締めつけられる。
 そのまま足を止めてしまい、後ろから声をかけられて我に返った。

「春川さん、食堂行く?」
「う、うん……行く」

 同期たちの輪の中で談笑していても、さっきの光景が頭から離れない。

 

 午後のデスクワーク中、メールの確認をしていると、佐伯からチャットが届いた。

《今日の夜、みんなで飲みに行くけど来る?》
《あ……どうしようかな》
《行こうよ。課長も来ないし気楽だよ》

 ——課長も来ない。
 その一文が、妙に背中を押した。

《じゃあ、行く》

 送信した瞬間、胸の奥で何かがざらついた。
 まるで自分が反発心で行動しているような気がしてならなかった。

 

 夜、居酒屋の個室。
 佐伯を含む同期数名と笑い合い、カクテルを口にする。
 神崎の視線を気にしなくていい空間は、確かに気楽だった——はずだった。

「春川さん、最近課長とあんまり話してないよね」
「え……そうかな」
「前はもっとやり取りしてたじゃん。距離感変わったっていうか」

 冗談めかした言葉に笑ってみせるが、内心はざわついていた。

 そんなとき、ふと入口の方から低い声が聞こえた。

「——楽しそうだな」

 振り向くと、そこに神崎が立っていた。
 別の会合の帰りらしく、ネクタイを少し緩めている。
 その瞳が一瞬、美咲を捕らえた。

「か、課長……どうして」
「同じビルに用があっただけだ。——帰る」

 それだけ言い残し、背を向ける。
 短い会話なのに、胸の奥に重い何かが沈んだ。

 

 翌日。
 出社しても、神崎は一言も話しかけてこなかった。
 目が合ってもすぐに逸らされる。
 美咲もまた、無意識に距離を取ってしまう。

(……このままじゃ、本当に戻れなくなる)

 それでも、素直に話しかける勇気は出なかった。
 お互いが、お互いを意識しすぎて、距離は広がる一方だった。
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