令和恋日和。 ~触れられない距離に恋をして~

第17話 ふたりだけのサプライズ



 土曜の午後、吉川芙美は仕事を終え、駅前の広場で三浦侑と待ち合わせていた。秋の空は澄んだ青に輝き、そよ風が街路樹の葉を軽く揺らしている。通りには、週末を楽しむ人々の笑い声や、遠くで響く自転車のベルが混じり合い、穏やかな喧騒が広がっていた。芙美は、小さなバッグを肩にかけ、コートの襟を整えながら、胸にほのかな期待を抱いていた。
 ――今日は何が待っているんだろう……。
 侑が「特別な時間を過ごそう」と提案してくれた日から、芙美の心は軽く高鳴っていた。彼とのこれまでの時間――カフェでの偶然の再会、美術展での触れ合い、初デートの温もり、告白の瞬間――が、まるで一本の糸で繋がれているように、彼女の心に鮮やかに刻まれていた。恋愛に慎重だった自分。それでも、侑の誠実な笑顔や穏やかな言葉が、彼女の心に新しい色を塗り続けていた。
 広場の時計台の下で待っていると、侑の姿が目に入った。カジュアルな白いシャツに、軽く羽織ったネイビーのジャケット。眼鏡の奥で光る瞳には、いつも通りの穏やかさと、どこか特別な輝きが宿っていた。
「芙美さん、準備はいいですか?」
 侑がにっこりと笑いながら手を差し出した。その声に、芙美の胸が小さく跳ね、足取りも自然と軽くなった。
「はい、楽しみです」
 彼女は微笑みながら、差し出された手を握った。温かさがじんわりと伝わり、まるで心の奥まで届くようだった。二人は手をつないで街を歩き始めた。通りを抜ける風が、芙美の髪を軽く揺らし、侑のジャケットの裾をそっと翻す。
***
 やがて、二人は小さな公園に到着した。そこには、色とりどりの風船が木の枝に結ばれ、ベンチの周りに小さな装飾が施されていた。カラフルなリボンや、テーブルクロスに飾られた花が、柔らかな陽射しの中で輝いている。芙美の目が一瞬大きく開き、驚きと喜びが胸に広がった。
「これは……侑さん、どうして?」
 彼女の声には、驚きと感動が混じっていた。侑は少し照れたように笑いながら答えた。
「今日は、芙美さんへのちょっとしたサプライズです」
 公園のベンチには、二人だけのピクニックセットが丁寧に用意されていた。手作りのサンドイッチ、色とりどりのフルーツ、温かいコーヒーが入った thermos。ブランケットが芝生に敷かれ、陽射しがその上に柔らかな光を投げかけていた。芙美は、侑の心遣いに胸がじんわりと温まるのを感じた。
 ――こんな風に私のことを考えてくれるなんて。
 二人はブランケットに腰を下ろし、ピクニックを始めた。サンドイッチを分け合い、フルーツをつまみながら、笑い声と軽やかな会話が広がる。侑が作ったサンドイッチの具材について話すと、芙美は笑いながら「意外と料理上手ですね」とからかい、侑は少し照れながら「芙美さんのために頑張ったんです」と答えた。
***
 陽射しが芝生を温かく照らす中、侑がふと真剣な表情で口を開いた。
「芙美さん、実はずっと考えてたんです」
 その声に、芙美の胸が高鳴った。
「な、何ですか?」
 彼女は少し緊張しながら、侑の瞳を見つめた。そこには、誠実さと温かさが宿っていた。
「僕、こうして一緒にいる時間が本当に大切です。だから……もっと、二人の時間を増やしたい」
 侑の言葉には、迷いがなく、心からの想いが込められていた。芙美は、その言葉に胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。彼女もまた、同じ気持ちを抱いていた。
 ――私も、侑さんと過ごす時間が何よりも大切。
 彼女は自然に笑みを返し、静かに頷いた。
「私も、同じ気持ちです」
 互いの視線が交わるだけで、心が温かくなった。侑の手が、芙美の手にそっと重なる。指先に宿る愛情が、まるで心の奥にそっと触れるようだった。二人は、言葉以上の何かが通じ合うのを感じながら、ピクニックの時間を楽しんだ。
***
 日が傾き、夕暮れの光が芝生を柔らかく染め始めた。二人は肩を寄せ、沈む夕日を眺めた。オレンジ色の空が、公園を温かな色で包み込む。遠くで響く子どもたちの笑い声や、そよ風に揺れる木々の音が、静かな時間に溶け合っていた。
「侑さん……ありがとう。今日、とても幸せです」
 芙美が小さく呟くと、侑は柔らかな笑顔で答えた。
「僕もです、芙美さん」
 言葉にしなくても、互いの胸に満ちる感情は同じだった。二人は手を重ね、互いの温もりを確かめながら、夕暮れの光に身を委ねた。ふたりだけの特別なサプライズは、静かに、だが確かに幕を閉じた。
***
 夜、アパートのベランダに出た芙美は、夜空を見上げた。都会の光に少し霞む星々が、静かに瞬いている。今日の出来事――侑のサプライズ、ピクニックの笑顔、手の温もり――が、まるで心のキャンバスに鮮やかな色を塗るように、彼女を満たしていた。
 ――この人となら、どんな瞬間も特別になる。
 その思いが、芙美の心に確かな根を下ろしていた。
 同じ空の下、侑もホテルの窓辺で、コーヒーカップを手に夜空を見上げていた。芙美の笑顔、彼女の手の感触、夕暮れの静かな時間が、頭に浮かぶ。このサプライズが、二人に新たな絆を刻んだことを、彼は確かに感じていた。
 ふたりだけの特別な時間が、二人の物語をさらに彩り、これからの未来に温かな予感を残していた。
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