愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
「蘢様と朧様を呼んできます。おタキちゃんも何か知恵があるかもしれません」

 ――待っていてください!
 季音は気だるい身体を奮い立たせ、急ぎ社へ向かった。

「蘢様! 蘢様!」

 境内に着くや否や、季音は泣きそうな声で蘢の名を叫んだ。台座に座る石像に抱きつく勢いで触れると、彼は石像から本来の姿に戻した。

「こんな夜半にどうなさったのです……貴女は体調が悪いのでしょう」

 明らかな異常を感じたのだろう。蘢は抱きつく季音に驚き、目を見開くものの(いと)うことなく、穏やかに問いかけた。

「龍志様が、ひどい咳で吐血を……私、どうしたら良いか分からなくて、助けて、助けてください。お願いです」

 彼の状態を思い出しながら伝えた瞬間、(まなじり)が熱くなった。鼻の奥がツンと痛み、視界が霞む。熱い雫がぼろぼろと濁流のように溢れ、季音はしゃくり上げるように嗚咽を漏らした。

「何だ何だ、龍がどうした?」

 騒ぎに気づいたのだろう。社の戸を押し開け、朧が軽い口調で声をかけてくる。しかし、彼は異変を察したのか、山吹(やまぶき)色の瞳を鋭く光らせ、ぴたりと立ち止まった。すぐ後ろから現れたタキも、朧の隣で足を止め、眉を寄せた。

「……季音殿、ここで待っていてください。朧殿、同行お願いします。タキ殿は季音殿をお願いできますか? 僕ら、すぐ戻りますから」

 蘢は季音を安心させるように背をそっと撫で、朧とともにぼろ屋へ急ぎ足で向かった。

 なぜ突然こんなことになったのか。季音は懐にしまった(ふじ)の簪を握りしめ、膝をついてその場にへたり込んだ。

 胸の奥でざわめく不安が、冷たい夜の空気と混じり合っていた。

「おキネ、とりあえず落ち着け。蘢に言われた通り大人しく待とう。お前も身体が良くないだろう。とりあえず、社の中に行こう」

 背後からタキの穏やかな声が響いた。間近で見た彼女の瞳には、気遣うような柔らかい光が宿っていた。季音は黙って頷き、溢れる涙をそっと拭った。

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