愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 龍志の笑みは何度か見たことがあるが、いつもは喉を鳴らし、瞳に嗜虐心を宿すものだった。今は違う。柔らかな笑顔に、キネの胸は温かくなった。

(龍志様、本当は……こんな笑い方をするのね)

 彼は無骨な指を伸ばし、キネの涙を掬うように拭った。

「で、盛大に勘違いした俺は阿呆みたいで恥ずかしい訳だが……どうして俺の部屋に来た? それも着替えまでして」

 口角を緩めたまま、龍志は仕切り直して()いた。だが、「ここから出るため」と素直に答えられるはずもない。
 着替えを指摘され、キネは俯いて黙考した。

「……寂しかったから。それに、あの……久しぶりに自分の装束を着たかったから」

 漏れ出た言葉は、半ば事実で半ば嘘だった。
 ――こんな嘘はすぐ見抜かれるだろう。
 恐る恐る顔を上げると、龍志は目を大きく瞠り、片手で目頭を押さえた。

「おい。寂しいなんて。それは……男は確実に変な気を起こすからそういう発言は慎め」

 嘆き交じりに言うと、龍志はキネを腕からそっと解放した。身を引いた彼は、枕元の裸火(らか)に火を灯し、書き物机の前にどかりと胡座をかいた。

 どうしたのだろう。キネは布団に座ったまま彼を見た。だが、彼が身を離してくれたことで気分が落ち着き、涙が止まり、頬の熱が冷めていくのを感じた。

 龍志は引き出しから紙を出し、無言で(すずり)を擦り始めた。筆に墨を含ませ、紙に滑らせるが、肩に隠れて何を書いているのか見えない。キネは首を傾げ、彼の背中をじっと見つめた。

 暫くして、龍志は向き直り、綺麗に折り畳んだ紙を手渡した。

「肌身離さず持っていろ。多分それで寂しくない」

 何が書かれているのか。気になってキネが紙を開こうとした瞬間、龍志の手がそれを止めた。

「開くな。ただの文だが開く時は、〝本当にどうしようもなく寂しくなった時〟だ。耐え難い苦しみが訪れた時、あるいは本当の独りになった時に開け。言葉には魂が宿ると言われている。それでお前を守ってくれるかもしれない」

 厳かな口調に、キネは気圧され、無言で頷いた。大事なものなら丁寧に扱おうと、懐から藤の簪を取り出し、紙をしまおうとした。

「……それは」

 龍志がぽつりと言い、視線を簪に注いだ。
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