愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~

第30話 短歌の秘めたる愛と憎しみ

 日が暮れる頃までの記憶はあった。だが、ふと気づくと、視界は明るく、朱塗りの門の前にいることに季音は気づいた。

 あの庭だ。
 季音は迷うことなく開いた門をくぐり、白砂利の敷き詰められた道を進んだ。

 思えば、入れ替わってからというもの、藤夜の声は聞かなかった。
 それに、自分の身体を乗っ取ろうともしなかった。あんなことをしておいて、よくも素直に身体の中にいたものだ。そんな風に思いながら、季音は藤棚の四阿(あずまや)を目指して歩む。

 下に菖蒲(しょうぶ)の群生する朱塗りの橋を渡り、椿の大木を横切り、やがて辿り着いたのは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の群生地。その真ん中にぽつりと佇む四阿(あずまや)に着いたが、そこには藤夜の姿はなかった。

(どこにいったのかしら……いったい何を考えているの)

 季音は四阿(あずまや)の中を見渡した。ぱっと視界に入ったのは書き物机だった。その上には煙草盆と、若草色の帳面と筆用具が置かれている。

 季音は帳面を手に取り、ぱらぱらと捲った。
 そこに書かれた字は、龍志に負けず劣らずの達筆だった。内容は日記のようなもの。それから、短歌を幾つも綴られていた。

 それをひとつひとつ目で追うと、全てが恋を詠うものと気づき、季音は眉を寄せる。
 神とはいえ、藤夜にも思い人がいたのだろうか。そんなことを思ったときだった――

「……人の歌集を覗き見るなど趣味が悪い」

 冷ややかな声が後方から響き、季音はすぐに振り返る。そこには、案の定、藤夜が煙管を燻らせて佇んでいた。

「……私の様子を、ここからずっと眺めていたのだから、おあいこでしょう」
「まぁ、それもそうじゃな。どうだい、あんたも一句、歌でも綴ってみるかい。そこに書くことを許してやろうぞ」

 鼻を聳やかし言うと、藤夜は季音にそこに座るよう促した。
 当然ながらそんな気分ではなかった。ふつふつと蘇る怒りは収まりやしない。

「嫌よ! 貴女は何がしたいの? 貴女にだって誰かを思う気持ちはあったのでしょう……」

 季音は若草色の帳面を彼女に向かって投げつけた。
 帳面は彼女の肩に当たり、地面に落ちる。
 きっと、すぐさま胸ぐらを掴みかかって怒ると思ったが、彼女はそれを拾い上げ、何も言わなかった。

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