愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
壱章
第1話 嗜虐癖な恩人
軒下からぶら下がる氷柱が透明な雫を落とす、晴れた昼下がりだった。
キィキィと甲高い音が響いていた。だが、それは決して鳥の囀りではない。
その正体は、モフモフとした雪白の尾を高々と天井に向けたキネの下──古い板張りの床だった。
キネは四つん這いで板張りの廊下を水拭きしていた。だが、その手際はひどく拙く、度々つまずいてしまう。
踝まで覆う長い丈の浴衣に慣れていないせいもあるだろう。裾が足に絡まり、思うように動けなかった。そのたびに響く音は、まるで喉を潰されそうな鳥の悲鳴のよう。
劈く音に、キネは目を瞑って一つため息をついた。
──どうしてこうなってしまったのだろう。
その思いはもう何度目か分からない。キネはまたも大きなため息をつき、廊下に併設された縁側の方を向いた。
ここへ来てから、早いもので一か月以上が過ぎた。あのとき漂っていたのは梅の花の匂いだったが、今は桃の花の香りがほのかに漂う。
その変化から、春が着実に近づいていると分かる。あと一か月もすれば、桜が咲く本格的な春が訪れるだろう。
「私はいつまでここにいればいいのかしら……」
不安に眉尻を下げ、キネは掃除の手を止めて庭の景色を眺めた。
自分が今いるこの家屋の外観は分からない。内装が古いことから、相当なボロ屋と想像できるが、どんな場所にあるのかは知る由もなかった。
何せ、いまだに外に出ることを許されていないのだ。
きっと山の中だろう。とは分かる。だが、笹垣の向こうは高く茂る竹藪ばかりで、周囲の様子はまるで見えない。位置を掴む手がかりなど、微塵もなかった。
心配か、落胆か。自分でも分からない感情に、ため息しか出てこない。
「帰らなきゃ……」
キネがぽつりと心の中で呟いた瞬間だった。
突如、尻尾を掴まれる感触に、背筋から甘い痺れが這い上がる。
キネは「きゃん」と子犬のような声を漏らし、前屈姿勢のまま床に突っ伏した。
「お前、本当にトロいな。床拭きにどれだけ時間かけるんだよ。日が暮れる」
──ボヤボヤするな。
なんて、呆れ混じりに付け足して。頭上から響く低い声に、キネは唇をモゴモゴと動かしながら振り返った。
キィキィと甲高い音が響いていた。だが、それは決して鳥の囀りではない。
その正体は、モフモフとした雪白の尾を高々と天井に向けたキネの下──古い板張りの床だった。
キネは四つん這いで板張りの廊下を水拭きしていた。だが、その手際はひどく拙く、度々つまずいてしまう。
踝まで覆う長い丈の浴衣に慣れていないせいもあるだろう。裾が足に絡まり、思うように動けなかった。そのたびに響く音は、まるで喉を潰されそうな鳥の悲鳴のよう。
劈く音に、キネは目を瞑って一つため息をついた。
──どうしてこうなってしまったのだろう。
その思いはもう何度目か分からない。キネはまたも大きなため息をつき、廊下に併設された縁側の方を向いた。
ここへ来てから、早いもので一か月以上が過ぎた。あのとき漂っていたのは梅の花の匂いだったが、今は桃の花の香りがほのかに漂う。
その変化から、春が着実に近づいていると分かる。あと一か月もすれば、桜が咲く本格的な春が訪れるだろう。
「私はいつまでここにいればいいのかしら……」
不安に眉尻を下げ、キネは掃除の手を止めて庭の景色を眺めた。
自分が今いるこの家屋の外観は分からない。内装が古いことから、相当なボロ屋と想像できるが、どんな場所にあるのかは知る由もなかった。
何せ、いまだに外に出ることを許されていないのだ。
きっと山の中だろう。とは分かる。だが、笹垣の向こうは高く茂る竹藪ばかりで、周囲の様子はまるで見えない。位置を掴む手がかりなど、微塵もなかった。
心配か、落胆か。自分でも分からない感情に、ため息しか出てこない。
「帰らなきゃ……」
キネがぽつりと心の中で呟いた瞬間だった。
突如、尻尾を掴まれる感触に、背筋から甘い痺れが這い上がる。
キネは「きゃん」と子犬のような声を漏らし、前屈姿勢のまま床に突っ伏した。
「お前、本当にトロいな。床拭きにどれだけ時間かけるんだよ。日が暮れる」
──ボヤボヤするな。
なんて、呆れ混じりに付け足して。頭上から響く低い声に、キネは唇をモゴモゴと動かしながら振り返った。