愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
「謝ってるだろ? でもな、俺は確かに詠龍だったが、今は違う。あいつが急にあれやこれやと思い出して混乱するかもしれないだろ。まだ呼びにくいなら(あるじ)でも、別の呼び方をすればいい」

 龍志は一つ大きなため息をつく。
 白い息が夜の冷たい空気に溶け、少し疲れたようなその仕草に、どこか彼の優しさが滲んでいた。

主殿(あるじどの)……」

 蘢は歯切れ悪くそう呟き、ようやく龍志と視線を合わせた。
 その瞳には、どこか複雑な感情が揺れている。拗ねてるのに、ちゃんと龍志を気にしている。そんないじらしいまなざしに、龍志は心の中で小さく笑った。

「いい子だ」

 龍志は蘢のふわふわと逆毛立つ髪を優しく撫でる。
 指先に触れる髪は柔らかく、まるで春の綿毛のようだった。蘢は少しだけ目を細め、心地良さそうなそぶりを見せたが、その表情にはまだ腑に落ちないような影が残っていた。
 まるで龍志の言葉を信じたいけど、心の奥底にはまだ澱があるように……。そんな心の揺れが透けて見えてしまう。

「……お前も複雑なやつだよな。合わせてくれて悪いとは思ってる」

 しれっとした調子で龍志が呟くと、蘢は「それは、お互い様でしょう」と素っ気なく返す。
 その声には、どこか諦めたようなものと、親しみが入り混じっていた。

 一応、納得してくれたようだ。
 理不尽に怒ったことを詫びるためにここまで来たのだから、これで大丈夫だろう──そう思った龍志が踵を返す直前、蘢が再び彼を呼ぶ。

「……本当に、貴方は自分で決めた通りに進むつもりですか?」

 蘢の言葉はやはりどこか歯切れが悪く、その表情には浮かない影が漂っていた。
 十中八九、心配されている。
 自らが使役する〝式神〟にこんな顔をさせるのは良くないだろう。龍志は一瞬、胸に軽い息苦しさを感じた。

「愚問だな。俺はあいつを命がけで幸せにする」

 龍志は笑い混じりに答え、蘢のふわふわの髪をワシャワシャと撫で回す。
 すると、能面のように無表情だった蘢がようやく口角を緩め、仕切り直すように口を開いた。

「そもそもですけど……その策略を本気で実行するなら、主殿(あるじどの)はあの娘に好かれている自信があるんですか?」
「さあな。まあ、〝好きだとは思う〟とは言われたから、たぶん嫌われてはいないだろうな。だけど、陰陽師と知られた上、昨晩色々やらかしたせいで、相当びびられてるとは思うけどな」
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