愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
季音が小さく呟くと、龍志は社の入り口を見つめ、静かに口を開く。
「昔々の話だ。辛い仕事だとは思うが、あいつに決して一匹じゃないことは分からせたい」
――風化した社に対のいない狗。初めて見たとき、季音は畏怖を感じた。今は見慣れたものの、社を見るたびにもの悲しさが胸をよぎる。龍志の言葉にその裏側を思い知り、季音は物憂げに彼を見上げる。
「龍志様、ここで何が……あったのですか」
思わず訊くと、「言えたものじゃない」と龍志はきっぱり首を振る。
踏み込んではいけないことなのだろう。季音は静かに頷いた。
「話を戻すが、蘢にはお前たちと打ち解けてほしいと思ってる。これは命令だ。特に朧。お前と蘢は俺の使役下の式同士だしな。だが、まずは手始めに季音だ」
――朧に比べりゃお前は三割まだマシなんだから大丈夫だろ。頼んだ……と、付け加え、季音の肩を軽く叩く。その瞳は穏やかで、温かな色がある。
そうして、雑巾と水の入った桶を手渡され、季音は小さく息を吐いた。
やるしかない。自分に与えられた仕事をしなくては。
「かしこまりました。行ってまいります」
不安を隠しれぬまま、季音は蘢の後を追った。
社内部は埃臭く、差し込む陽光に埃が舞っていた。側面の戸や窓が開けられ、風が通り抜けるが、鼻がむずむずする。……とはいえ、龍志の言う通り、内部の風化はそこまでひどくない。柱はしっかりしており、床板の腐食も軽い。
蘢はすでに掃き掃除を始めていた。
季音が近づくと、彼はすぐ箒を立てかけ、季音の手から雑巾と水桶を取り上げる。
無言の行動と威圧感。まるで「妖如きが社に入るな」と言われた気がして、季音は困った面持ちになる。
埃が舞う中、蘢の赤い瞳がちらりと季音を捉え、すぐにそっぽを向いた。
「……拭き掃除、恥ずかしいでしょう」
蘢がぽつりと呟き、季音は驚いて目を見開く。
「いくら僕でもさすがに目のやり場に困るので、掃き掃除をしてください」
考えてもいなかった答えだった。
季音は思わず「えっ」と声を漏らすと、蘢は太い眉を寄せてそっぽを向く。
「いいから黙って従ってください……僕は主殿のようにはしたないことを楽しむ変態じゃないので、異種とはいえ雌にそんな格好をされても困ります。尻尾を持つ意味では妖も神獣も同じですから、少しは分かります」
「ありがとうございます、蘢様……」
蘢の不器用な優しさに、胸がじんわり温かい。
季音は慌てて礼を言い、渡された箒を受け取り、深々と頭を下げた。
「昔々の話だ。辛い仕事だとは思うが、あいつに決して一匹じゃないことは分からせたい」
――風化した社に対のいない狗。初めて見たとき、季音は畏怖を感じた。今は見慣れたものの、社を見るたびにもの悲しさが胸をよぎる。龍志の言葉にその裏側を思い知り、季音は物憂げに彼を見上げる。
「龍志様、ここで何が……あったのですか」
思わず訊くと、「言えたものじゃない」と龍志はきっぱり首を振る。
踏み込んではいけないことなのだろう。季音は静かに頷いた。
「話を戻すが、蘢にはお前たちと打ち解けてほしいと思ってる。これは命令だ。特に朧。お前と蘢は俺の使役下の式同士だしな。だが、まずは手始めに季音だ」
――朧に比べりゃお前は三割まだマシなんだから大丈夫だろ。頼んだ……と、付け加え、季音の肩を軽く叩く。その瞳は穏やかで、温かな色がある。
そうして、雑巾と水の入った桶を手渡され、季音は小さく息を吐いた。
やるしかない。自分に与えられた仕事をしなくては。
「かしこまりました。行ってまいります」
不安を隠しれぬまま、季音は蘢の後を追った。
社内部は埃臭く、差し込む陽光に埃が舞っていた。側面の戸や窓が開けられ、風が通り抜けるが、鼻がむずむずする。……とはいえ、龍志の言う通り、内部の風化はそこまでひどくない。柱はしっかりしており、床板の腐食も軽い。
蘢はすでに掃き掃除を始めていた。
季音が近づくと、彼はすぐ箒を立てかけ、季音の手から雑巾と水桶を取り上げる。
無言の行動と威圧感。まるで「妖如きが社に入るな」と言われた気がして、季音は困った面持ちになる。
埃が舞う中、蘢の赤い瞳がちらりと季音を捉え、すぐにそっぽを向いた。
「……拭き掃除、恥ずかしいでしょう」
蘢がぽつりと呟き、季音は驚いて目を見開く。
「いくら僕でもさすがに目のやり場に困るので、掃き掃除をしてください」
考えてもいなかった答えだった。
季音は思わず「えっ」と声を漏らすと、蘢は太い眉を寄せてそっぽを向く。
「いいから黙って従ってください……僕は主殿のようにはしたないことを楽しむ変態じゃないので、異種とはいえ雌にそんな格好をされても困ります。尻尾を持つ意味では妖も神獣も同じですから、少しは分かります」
「ありがとうございます、蘢様……」
蘢の不器用な優しさに、胸がじんわり温かい。
季音は慌てて礼を言い、渡された箒を受け取り、深々と頭を下げた。