愚図な妖狐は嗜虐癖な陰陽師に甘く抱かれる ~巡り捲りし戀華の暦~
 帰路は来た道をひたすら戻るだけ。朱塗りの橋を渡り、四季を跨いだ花々が咲き乱れる庭を抜けて、やがて朱塗りの門へと辿り着く。
 門は依然開いたままだった。その果てはやはり輝かしいもので、目映さに季音は目を細めた。曼珠沙華の赤が背後で揺れ、椿の花が静かに香る中、季音の心は不思議な安堵に包まれる。

 門の外側からは、聞き覚えのある複数の声が靄がかって響いてくる。
 自分の心の中……と、言われた言葉を季音は改めて納得してしまった。藤棚の甘い香りが、まるで彼女の言葉を閉じ込めるように漂っていた。

「……ねぇ。貴女、名前は?」

 門の前に立ち止まって思わず彼女に尋ねると、いまだ袖を摘まんだままの彼女は吊り上がった瞳をじっとりと細めた。薄紅の唇が、まるで秘密を隠すように小さく動く。

「愚問だな。妾はお前なのだから季音に違いないだろう。だが皮肉なことに、遠い昔にあったまことの名もあんたと同じ藤の名を持つ」

 呆れた調子でそれだけ言うと、彼女は季音の肩を門に向かってぐいと押した。彼女の手は意外に力強く、季音の小さな背を確実に導いた。

「いいかい? 妾に会ったことは誰にも言うな」

 釘でも刺すかのような言い方だった。だが、確かにそれもそうだろう。自分の守護霊に会っただの言えば、皆にどんな顔をされるのかも分からない。
 それに、いちいち言うほどのこともないだろう。そんな風に思って、季音は後方を僅かに振り向いた。彼女の雪白の髪が、輝く門の光に溶けるように揺れている。

「それを破ったらどうなるの?」

 少しふざけて()くと、彼女は一つ舌打ちを入れて、目を細めて季音を睨んだ。

「……永遠にこの庭に閉じ込める。さぁ行け」

 その口ぶりは凄みがあった。脅しではなくまるで本気のよう――それから間髪入れずに、彼女は季音を門に向かって突き飛ばした。
 光の奔流が季音を飲み込み、藤の香りが一瞬強く鼻を(くすぐ)る。

「お前は幸せになれ、妾はそれを望む」

 霞んでいく視界の先、彼女の薄紅の唇が狡猾に弧を描いたことだけがやたらと印象に残った。

 ***

 ――次第に聞き馴染みのある少女の掠れた声が聞こえてきた。

 罵声だろう。何を言っているかは分からないが、相当機嫌が悪そうだった。社の古びた木の香りが鼻をつき、障子から漏れる柔らかな灯りがまぶたの裏に滲む。

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