甘く苦く君を思う
帰りの車内は静かだった。診察までに時間がかかり、辺りはすでに暗くなってしまっていた。
彼はハンドルを握りながら何度も言葉を飲み込んでいた。そして意を決したように口を開く。

「……毎週日曜も働いているだろう?」

「えぇ、日曜はお客さんも多いから」

すると彼は小さく息を吸い込んだ。

「その……旦那さんは?」

一瞬車内の空気が固まった。そして私はゆっくりと彼の方を見た。

「……いません」

この答えでいいのか一瞬考えたが、今いると言ってもすぐにバレるだろう。それならば、事実だけを言おうと端的に答えた。

「そうか」

彼はそれ以上何も言わない。渚の寝息だけが車内に響いていた。
私も窓の外に目を向けたまま、彼にはもう関係のないことだと心の中で繰り返していた。
アパートの前までくるとその古さに彼は一瞬言葉を失っていた。私たちにとっての日常は彼にとってはあり得ないところなのだろう。

「何かあったら遠慮せずに連絡をして」

そう言うと名刺の裏に電話番号を書くと私に手渡した。私のスマホがすでに新しいものに変わっていることは彼もわかっているのだろう。私の番号は聞かず、自分のだけを伝える、その押し付けない優しさが心に染みる。
彼は私たちを下ろすと帰ったかのように思っていたが、すぐにまた玄関がノックされる。こっそりと覗き穴から確認すると今帰ったばかりの彼の姿があった。
手にはコンビニの袋が2つあり、それを渡すと今度こそ帰っていった。
袋の中身は飲み物や果物、ゼリーにアイス、おにぎりやパンなど手当たり次第買ってきたのか色々と入っていた。
< 64 / 105 >

この作品をシェア

pagetop