俺が、私で、アイドルで - 秘密を抱いてステージへ
第3章:理解と許し
 鏡張りのスタジオに、かすかなヒールの音が響いた。
 振り向くと、入り口に母の姿があった。腕を組み、スーツ姿のまま仁王立ちしている。

「お母さん……」

 瞳の声に、母は答えない。ただ、スカウトマンの城戸が軽く会釈した。
「お忙しい中ありがとうございます。藍原さんにどうしても、彼の“今”を見ていただきたくて」

 母はスタジオの隅に立ち、表情を動かさなかった。
「五分だけ。くだらない真似をしてるなら、すぐに帰るから」

 瞳は練習位置に戻り、呼吸を整える。曲が流れる。
 踏み出した瞬間、空気が変わった。
 ステップ、ターン、跳躍。声を乗せると、自分でも驚くほど伸びやかに響く。
 汗が額を伝い、髪が乱れ、息が荒れる。それでも瞳の目は、真っすぐ鏡を見据えていた。

 ――こんな顔、母は知らない。

 曲が終わり、スタジオに静寂が落ちた。
 瞳は肩で息をしながら、母の姿を探す。

 スタジオの隅に立つ薫は、腕を組んだまま微動だにしない。表情は読めなかった。けれど、その視線の奥に、わずかな揺らぎを瞳は感じ取った。

「……こんな顔、してたのね」

 小さくつぶやいた声は、驚きとも呟きともつかぬ調子だった。

 薫は視線を落とし、用意された書類に目を通す。長い沈黙。ペンを取る手が、わずかに震えた。

「勘違いしないで」
 低く抑えられた声が、紙の上に落ちる。
「私は、あなたを認めたわけじゃない。ただ……止める権利もないのかもしれない」

 ペン先が走る音が、スタジオに響いた。

 瞳は唇をかみしめる。胸の奥に熱いものが込み上げるのを、必死でこらえた。

 ――母が完全に受け入れたわけじゃない。
 ――けれど、それでも。ここから、始められる。
< 8 / 25 >

この作品をシェア

pagetop