その優しさに溺れる。〜一線を超えてから、会社の後輩の溺愛が止まらない〜
「ねえ、お姉さん、ひとり?」
背後から声がかかり、反射的に振り向くと──軽そうな男が笑って立っていた。
「つれがいるんで、すみません」
声を少し硬くして頭を下げる。こういうタイプは得意じゃない。
「つれ? 彼氏?」
からかうように距離を詰める視線。
「……ちがいます」
胸の奥がちくりと痛む。否定しただけなのに、なぜこんなにざわつくのか。
「じゃあ、暇つぶしにさ──」
ふざけた指先が手首に触れ、ゾワッと鳥肌が立つ。
その瞬間──
「──離せ」
静かで、でも凍るような低音。振り向く前に、湊が間に立っていた。
「……は?」
男が声を上げる間もなく、湊が迷いなく手首を掴む。無理に捻るわけでも力任せでもない、ただ静かに制する手つき。
「いっ……!」
男は顔をしかめ、手を放す。
「この人に、気安く触れないでくれる?」
静かだが圧のある声。男は何も言えず立ち去った。
「……大丈夫ですか?」
「うん。湊くんが来てくれてよかった。守ってくれて、ありがとう」
そうお礼を言うと、照れたように視線を逸らす彼。
横顔を見た時、ふと、左耳の小さなピアス穴が目に止まった。
「……湊くん、ピアスしてたの?」
無意識に手を伸ばすと──
「っ、くすぐったい」
「あ、ごめん」
「…ピアスは…高校の頃、ちょっとだけしてました」
「意外」
「よく言われます。あんまり褒められた時代じゃないんで、秘密です」
冗談めかした声の奥に、わずかに影のようなものが見えた。
そして、あの男の手を掴んだときの目。冷たく、低くて──
優しい湊とは違う顔。
──まるで、“こういう場面”に慣れているみたいだった。
なにも聞けなかったけど。
ただ、胸の奥にそっと、引っかかる何かが残った。
──まだ、私は、湊のことを全部は知らないのかもしれない。