氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 言葉とは裏腹に、みるみるうちに(あぶら)(あせ)(にじ)んでくる。生唾(なまつば)がこみあげてきて今にも胃の中身がせり出してきそうだ。しかし今ここで、先日のベッティのような醜態(しゅうたい)をさらすわけはいかない。エーミールは貴族として、男として、己のすべての誇りをかけて、必死に耐えようとした。

 口元を押さえながら反対の手で制するようにされ、エラは戸惑ったようにエーミールの顔を覗き込んだ。通常、侍女や従者が馬車に乗るときは、主人の対面、進行方向を背にして座る。エーミールは侯爵家の人間なので、慣れないこの乗り方のせいで馬車酔いをしているのだろう。

 そう思い至ると、エラはおもむろにハンカチを一枚取り出した。

「エーミール様、差し出がましいと分かっておりますが、こちらのハンカチには馬車酔いした時に効くという香料をつけてあります。気休め程度ですが、もしよろしかったらお使いください」

 体調によってはリーゼロッテが馬車酔いをするかもしれないと、前もって用意していたものだ。厚手(あつで)で大判のハンカチなので、万が一吐きそうになったときに使えるのではとの思いもあり、エラはそれを差し出した。

 エラの白い手がエーミールの手を包み込むようにハンカチをその手に乗せる。

「気遣いはありがたい、が……――っ!」
 言いかけてエーミールは、ハンカチごとエラの手をぎゅっと握りしめた。

(――吐き気が……おさまった……?)

 驚いたように顔を上げ、エラの顔を凝視する。あれほど感じていた重圧もかき消えている。エラは無知なる者と聞いておりますので……と、ふいに、リーゼロッテが言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。

 恐る恐るエーミールはエラの手を掴んでいる力を緩めた。自分の手がエラの細い指からほんの少し離れた瞬間、エーミールのその身に一気に重圧がのしかかった。思わずエラの手を握りなおすと、その圧が嘘のようにかき消える。

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