氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
     ◇
「くそがっ」

 外した手袋をトビアスは休憩室の床に叩きつけた。本当ならディートリヒ王に向かって叩きつけてやりたかったが、そんなことができるはずもない。

 王は王妃を好き放題にさせすぎている。アベル王子のことについても、そもそもディートリヒ王が入国の許可を出さなければよかったのだ。
 テレーズ王女が懐妊したという大事な時期に、そのそばを離れることがどれだけ危険か、王も承知しているだろうに。

 隣国の王室関係は非常に複雑だ。(おのれ)の立場を守るために、血のつながりがあろうとなかろうと、暗殺・毒殺なんでもござれな状況なのだ。
 第三王子の子を宿すテレーズを、あの国にひとり残すなど本来ならあってはならないことだった。

「アンネマリー!」

 二人のいる部屋にジルケが青い顔をして入ってきた。呆然とした表情で立ちつくしていたアンネマリーをそのままきつく抱きしめる。

「お母様……」
「アンネマリー、よく……よく耐えたわね」

 ジルケのその言葉に、アンネマリーの瞳から(せき)を切ったように涙が(あふ)れ出した。ジルケは幼子(おさなご)にするように、アンネマリーの髪をやさしくなでていく。
 その様子にトビアスがもう一度「くそが」と毒づいた。

 ディートリヒは王位を継いでから、まったく読めない男になった。
 彼が王太子として冊立(さつりく)される以前からそのそばにいたトビアスは、今でもそのことが信じられないでいる。以前は屈託(くったく)のない快活な男だったのだ。

 だが、王位についた途端、その姿は鳴りを(ひそ)めた。その変化は、もはや別の人格になったといっても差し支えのない程の豹変(ひょうへん)ぶりだった。

 この国の王は、王位を継いだ瞬間からすべからく別人となる。それはディートリヒに限ったことではなかった。
 その変わりようは、王としての自覚や対外的なパフォーマンスなどとは全く異質なものだ。

 全身から(かも)し出される重厚な雰囲気も、耳に残る重く静かな声も、はるか遠くを見据える瞳も、そのすべてが一朝(いっちょう)一夕(いっせき)で身につけられるものではなかった。

 それを歴代の王たちは、一夜にして手に入れる。それは龍の加護なのだと、一部の貴族は信じて疑わない。

< 313 / 684 >

この作品をシェア

pagetop