氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
 酒臭い空間にひとり残されたイグナーツは、書状を指で弄びながらしばらくぼんやりと頬杖をついていた。思い出したように、テーブルの上にあった酒の残ったグラスに手を伸ばす。それを掴もうとした瞬間、それは何者かにひょいと取り上げられてしまった。

「今宵はもうこれくらいになさった方がよろしいかと」

 テーブルの脇に黒装束の女が立っている。気配を感じさせないその女は、顔にまるで表情というものが見いだせない。

 驚きもせずその女の顔を見上げると、イグナーツは言葉を選ぶようにゆっくりとした口調で言った。

「ボクの指示したとおり、アニータ嬢は、あちらに、無事に着いたのですか?」
「万事滞りなく」
「そうですか。それはありがとう。ご苦労様です」

 そう言って、疲れたように息を吐く。

「仕方がないので、明日にはラウエンシュタイン家に戻ります。すみませんが、馬車の手配をお願いできますか?」
「仰せのままに」

 静かに頭を下げると、その女はふっとその場からかき消えた。彼女はラウエンシュタイン家に仕える間諜のような存在だ。イグナーツを陰から支えるその徹底ぶりは、あのカイですらその存在に気づくことはない。

「あー……行きたくねぇなぁ……」
 だらしなく椅子に背を預けて、イグナーツは天井を仰いだ。

「会いてぇよぉ、マルグリットぉ……」

 その目じりから涙が流れ出る。辛気臭いその涙は、酒場の主人ルイーダが様子を見に来るまで、しとしとと止めどなく流され続けた。

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