氷の王子と消えた託宣 -龍の託宣2-
     ◇
 馬車から降り立ち、堅牢な石造りの城を見上げる。

 高い石垣を囲むのは、深くえぐられた大きな堀だ。その堀には、底が見えるほどに透き通った(みどり)の水が(たた)えられている。この水は、極寒の真冬でも凍ることはない。ただ静かに、水面(みなも)が風にゆらされるだけだ。

 その堀の上を、長い跳ね橋がゆっくりと下ろされていく。その様子を、イグナーツは黙って見守っていた。

(相変わらず牢獄のような城だ)

 ここは初めの印象と何も変わらない。だがイグナーツにとっては、どうでもいいことだ。マルグリットがいるそこだけが、いつでも自分のいるべき場所だった。
 だから、マルグリットがいた日々も、いなくなってしまった今この時も、ここはなんの意味も持ちはしない。それでもイグナーツは、その場所へ行かなくてはならなかった。マルグリットの横に立つ、唯一の男として。

 下り切った跳ね橋へと足を踏み出し、開かれていく城の鉄門を目指す。近づくほど変わっていく空気の流れを、イグナーツは全身で感じ取っていた。この城はいつでも清廉な気が漂っている。体に残った夕べの酒も、一瞬で吹き飛ばされる勢いだ。

 イグナーツが城の門の前までたどり着くと、見計らったかのように、跳ね橋が再び持ち上がっていく。碧の湖の真ん中に取り残されたようなこの城は、選ばれたもの以外は近づくことすら許されない。
 孤城の高い鉄門を過ぎると、その門も無人のまま、閉じていった。

 雪の積もる石畳を進む。
 マルグリットの姿を初めて見た場所。初めてあの体に触れた場所。逃がさないように捕まえて、その唇に深く口づけた場所。

 進みながら様々な思い出が蘇る。

 ここはリーゼロッテがはじめて立って歩いた場所だ。こっちの広場では、何もない所でリーゼロッテがよく転んでいた。泣きじゃくるリーゼロッテをやさしく抱きしめるマルグリット。
 それを満たされた気持ちで眺めていたのはこの自分だ。

 リーゼロッテをここにひとり残すわけにはいかなかった。石の牢獄の中、いつ帰るか知れない父親を待つだけの生活を、リーゼロッテに強いることはできなかった。
 リーゼロッテが受けた託宣を盾に、ディートリヒ王に願い出た。たったそれだけが、父としてリーゼロッテにしてやれたことだ。

(どのみち、オレにはマルグリットしか選べない)

 何を言っても言い訳だ。自分は娘を捨てた。いつかマルグリットを取り戻したとして、あの日々が戻ってくることはないだろう。

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