寡黙な公爵と託宣の涙 -龍の託宣3-
     ◇
 これでツェツィーリアを巻き込むことはなくなった。ふたりを見送った後、リーゼロッテは安堵の息を漏らした。
 霧の向こうから、再び行商の男が近づく気配がする。落ち着いている場合ではないと、リーゼロッテは再び瘴気の中を走り出した。

 赤黒い霧の中、いつもはカークが横に立っている扉を何とか見つけ出す。リーゼロッテは部屋の中に入ると、念入りに鍵をかけ、そのまま迷わず奥の寝室へと向かった。廊下ほどではないものの、自分の後をついて来るように、(けが)れた霧が濃くなってくる。

(この中にも瘴気が入り込んでいるわ……)

 寝台の横に置かれたナイトテーブルの引き出しを開け、数本の小瓶を取り出した。中には透明な液体が揺れている。日々、リーゼロッテが溜めてきた涙の小瓶だ。
 この涙には異形を(はら)う力がある。普段は薄めて使っているが、今回はそれでは太刀打ちできないだろう。

 リーゼロッテはそれをドレスの隠しポケットへと詰め込んだ。一本だけを手に握りしめ、寝室から居間へと戻った。クローゼットを抜ければ、ジークヴァルトの部屋に出ることができる。守り石で囲まれたそこならば、異形たちも近づけないに違いない。

 その時、エラの声がした。廊下から自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。慌てて扉を開き、エラを中へと引き入れた。

「お嬢様!」

 安堵したようにエラはリーゼロッテを抱きしめた。

「ヨハン様が屋敷の様子がおかしいとおっしゃるものですから、心配になってお探ししておりました」
「まだ危険な状況なの。お願いよ。エラはすぐにここを離れてちょうだい」

 自分のそばにいると、エラも巻き込まれかねない。異形が悪さをできない無知なる者とはいえ、実際に襲ってくるのは異形に憑かれた生身の人間だ。エラに危害を加える可能性は十分にあった。

「お嬢様を置いていくなどできるはずはありません」
「わかったわ、エラも一緒にヴァルト様のお部屋へ……」

 そう言いかけた時、部屋の扉が大きく(きし)み、蝶番(ちょうつがい)ごと吹き飛んだ。廊下の瘴気が一気になだれ込み、その奥から行商の男がゆらりと姿を現した。

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