寡黙な公爵と託宣の涙 -龍の託宣3-
 涙の小瓶を手渡そうとすると、エラはすぐに押し戻してきた。

「わたしなら大丈夫です」
「でも……」
「それよりも早くヨハン様を」

 エラの額に脂汗がにじんでいるのに気がついて、リーゼロッテは仕方なく立ち上がった。

「痛み止めもすぐに持ってくるわ。こっちに進めばいいのね?」
「はい、まっすぐ進めば、公爵様の執務室へと行けるはずです。その少し先に、ヨハン様はいらっしゃるかと」

 頷いてエラの元を離れる。エラには瘴気が見えないので、廊下の方向に間違いはないだろう。
 手探りで壁伝いに進む。しかし、行けども霧が晴れる様子はなかった。それどころかどんどん瘴気が濃くなってきているように感じられた。

 ぞわりと背筋をなぞる感覚に、リーゼロッテは固まるように歩みを止めた。手に握る一本と、ポケットの中にもう二本。無意識に小瓶の数を確かめる。

 震える心を叱咤(しった)して、リーゼロッテはゆっくりと後ろを振り返った。瘴気の中からすうっと白い影が現れる。そこに浮かぶ男は、ホログラムのように朧気(おぼろげ)だった。

 ゆらゆらと揺らめくその姿は、敬虔(けいけん)な聖職者のようにも見える。だが、そこから発せられている気は、あまりにも邪悪に満ちたものだ。
 恐怖のあまりリーゼロッテは、涙の小瓶をその影に叩きつけた。だが、小瓶は(はじ)かれて、霧の中へと転がりながら消えていく。

 かたかたと震えるリーゼロッテに、白い影は薄く(わら)ったように視えた。それが近寄ってくる気配を感じて、リーゼロッテは必死に二本目の涙を振りまいた。

 影には届かず、涙は線上に広がった。描いた線そのままに、緑の光が床から天井へと立ち昇る。まるでリーゼロッテを守る壁のように、輝く緑が揺らめいた。

 白い影は緑の壁に押し戻されるように弾かれる。しかし、片手を掲げ、影は人差し指をリーゼロッテに向けて突き立てた。その尖った爪が、禍々(まがまが)しい(くれない)の光を放つ。まるでよく切れるナイフのように、その指は緑の壁をまっすぐに突き抜けた。

 指先がゆっくりと目の前へ突き立てられていく。迫りくる(けが)れた(あか)に、捕らわれたかのようにリーゼロッテは動けないでいた。

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