寡黙な公爵と託宣の涙 -龍の託宣3-
 その姿を思い出すだけでも身の毛がよだつ。どす黒い異形の影は、まるでうそうそと(うごめ)く大群の虫の様に視え、あの時ハイデは恐怖のあまり叫んでしまった。

『なんて、なんておぞましい姿なの……まるで汚らわしい悪魔だわ……!』

 ハイデがそう叫ぶと、幼いリーゼロッテは驚いた顔をして、そのまま転びながらも走り去ってしまった。はっと我に返った時にはもう遅かった。しばらくして、ハイデはダーミッシュ伯爵から暇を出され、あちこちの家を渡り歩いた末に、へリング子爵家に拾われ、ようやく安住の地を手に入れた。

 へリング家にいた令嬢クラーラも、異形の者をその身にくっつけてはいたが、あの悪魔の令嬢に比べれば肩に小さな(ちり)がついたようなものだった。

 そんな記憶が走馬灯のように頭をよぎっていく。リーゼロッテの様子を見ると、彼女もあの日の自分の暴言を覚えているのだろう。不敬罪でこの身は終わりだ。そう覚悟して、ハイデは顔を青ざめさせた。

「あなた、ハイデと言うのね……。ハイデ、あの時はありがとう」

 そう言ってリーゼロッテはそっとハイデの手を取った。青ざめたまま、ハイデはリーゼロッテの顔を見やった。あの日の悪魔のような面影はない。清楚で、精霊のごとくに美しい令嬢だった。

「わたくしね、あの日あなたにああ言われなかったら、ずっと勘違いして生きていくところだったわ。気づかせてくれて本当にありがとう」

 包み込んだハイデの手をきゅっと握りしめると、リーゼロッテはお手本のような淑女の笑みをハイデに向けた。青かったハイデの顔がみるみるうちに赤くなっていく。

「そそそのような、わたしあの日、とんだ失礼なことをっ」
「いいえ、そんなことはないわ。あなたが勇気をもって真実を口にしてくれたから、わたくし自分を正しく見つめ直すことができたのよ。感謝することはあっても、失礼だったなんて思っていないわ」
「え? 真実と言いますか、今はもう……」

 リーゼロッテの周りには、もはや異形のいの字も見いだせない。胸に下げられたひと粒の青い石が目に入り、クラーラの(かんざし)と同じなのだとハイデはすぐに理解した。

「いいのよ、わたくし、自分の容姿のことは十分に分かっているから。だから、もういいの。ありがとう……」

 悟ったように瞳を伏せ、リーゼロッテはさみしそうな笑顔を作った。この令嬢は何かを勘違いしている。咄嗟にそう思うも、リーゼロッテは次にクラーラに向けて微笑んだ。

「ほかの方はまだいらしてないけれど、お茶会を始めましょうか」

 それ以上は何も言えないまま、茶会の様子を見守るしかなかった。ハイデは呆然とその口を閉じた。

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