失恋したので復讐します
そもそもひとりでお酒を飲みに行く習慣がないから、普段の千尋だったら素通りしている。
扉のハンドルに手をかけたのは、自棄になっているからこその衝動だった。
重量感がある木製の扉を押し開き中に入る。
店内は薄暗く全容がはっきりわからないが、入口から想像していたよりも広い空間だった。
千尋は無意識にカウンター席に向かった。カウンターの中央にバーテンダーの姿があったが、一番端の席に座った。
左側が壁だから少々圧迫感があるが、少し窮屈なくらいが今の心境に合っている。
千尋はため息をつきながら壁に寄りかかった。心身ともに疲れきっている。
「いらっしゃいませ」
ため息をついた直後に、カウンターの向こうから声がかかった。
千尋は閉じかけていた目をぱちりと開いた。
(そうだ、注文しなくちゃ)
バーに来てお酒を頼まないわけにはいかないだろう。
メニューを探していると再び声がする。
「山岸さんがこんなところに来るとは思いませんでした」
(え?)
いきなり名前を呼ばれたことに驚き、千尋はようやくバーテンダーにしっかり視線を向ける。次の瞬間目を丸くして声をあげた。
「あ、相川君?」
目の前にはいたのは同じ部署の後輩、相川穂高だったのだ。
白いシャツに黒いベストと、どう見てもバーテンダーのスタイルだが間違いなく彼だ。
「な、なにしてるの?」
戸惑う千尋に、穂高がわずかに笑う。
「見ての通り。ときどきここでバイトしてるんですよ」
「バイト?」
(なんでバイトなんてしているんだろう)
御影都市開発の給料は業界内でもいい方だ。とくに穂高は一級建築士の資格を持っているから、生活に困るなんてことはないはずなのに。
疑問だったが千尋はそれ以上穂高を追及しなかった。
(きっと事情があるんだよね)
気にはなるが、あまりプライベートに踏み込まない方がいいだろう。それに今は他人の心配をしている余裕はない。
「バイトのこと、ここだけの話にしてもらえますか?」
「あ、うん、わかった」
「同僚に知られたら面倒なんで」
「でも、私みたいに偶然入ってきたらばれちゃうんじゃ……」
千尋の疑問に穂高はうなずいた。
「入りづらい外観だし、そうそう偶然は起きないですね。だから山岸さんが入ってきたのを見て驚きました」
「そうなんだ」
どうやらこのバーは、遊び慣れている人でも入るのをためらう外観だったようだ。
「常連さんには居心地がいいって、気に入ってもらえてるんだけど」
「たしかに落ち着いた雰囲気かも」
千尋のほかには、カップルと男性客がいて、穏やかにお酒を飲んでいる。年齢層は三十代から五十代といったところで幅広いようだ。
「それでご注文は?」
穂高に促されて千尋は再びメニューに視線を落とす。
「ええと……それじゃあカシスオレンジを」
千尋はもともとそれほどお酒を飲まないので詳しくない。居酒屋に行くといつも注文するお酒をオーダーする。
穂高が手慣れた様子でカシスオレンジを作り始める。その様子はさまになっていてこっちが本職だと言われても信じてしまうくらいだった。
「お待たせしました」
穂高がカウンター越しにカシスオレンジを置いた。ほっそりしたグラスに入ったそれはとても見栄えがいい。いつも飲んでいるものよりも華やかでゴージャスだからか特別なものに感じる。
グラスをそっと持ち口に運ぶ。
こういうところで飲むお酒はなんとなく濃いイメージがあったが、ひと口飲むと予想していたよりもさっぱりしていて飲みやすかった。
「おいしい……」
「それはよかった」
思わずこぼれた感想に、穂高が微笑む。
千尋はカシスオレンジを一気に飲んだ。
どうやら、すごく喉が渇いていたのだなと実感した。
飲み終えたグラスをカウンターに置き、周囲に目を向ける。
木製のカウンターテーブルにレンガ調の壁。レザーのソファ。照明はオレンジ色。
近づかなければ顔がはっきり見えない薄暗さが、今の千尋にとってはありがたかった。
次はなにを飲もうかとメニューを確認する。
「おつまみしかないんだ」
千尋のつぶやきを聞いた穂高が、あきれたような表情になった。
「こういうところは、食後に来るものなので」
「そ、そうなんだ。知らなかった」
きっと常識なのだろう。いい年をして物を知らない自分が恥ずかしい。
「まあ、真面目な山岸さんはこういった店に来ることはないだろうから、知らなくてもおかしくないですけどね。で? そんな山岸さんがひとりで飲みに来た理由は?」
穂高が、千尋をじっと見つめた。
扉のハンドルに手をかけたのは、自棄になっているからこその衝動だった。
重量感がある木製の扉を押し開き中に入る。
店内は薄暗く全容がはっきりわからないが、入口から想像していたよりも広い空間だった。
千尋は無意識にカウンター席に向かった。カウンターの中央にバーテンダーの姿があったが、一番端の席に座った。
左側が壁だから少々圧迫感があるが、少し窮屈なくらいが今の心境に合っている。
千尋はため息をつきながら壁に寄りかかった。心身ともに疲れきっている。
「いらっしゃいませ」
ため息をついた直後に、カウンターの向こうから声がかかった。
千尋は閉じかけていた目をぱちりと開いた。
(そうだ、注文しなくちゃ)
バーに来てお酒を頼まないわけにはいかないだろう。
メニューを探していると再び声がする。
「山岸さんがこんなところに来るとは思いませんでした」
(え?)
いきなり名前を呼ばれたことに驚き、千尋はようやくバーテンダーにしっかり視線を向ける。次の瞬間目を丸くして声をあげた。
「あ、相川君?」
目の前にはいたのは同じ部署の後輩、相川穂高だったのだ。
白いシャツに黒いベストと、どう見てもバーテンダーのスタイルだが間違いなく彼だ。
「な、なにしてるの?」
戸惑う千尋に、穂高がわずかに笑う。
「見ての通り。ときどきここでバイトしてるんですよ」
「バイト?」
(なんでバイトなんてしているんだろう)
御影都市開発の給料は業界内でもいい方だ。とくに穂高は一級建築士の資格を持っているから、生活に困るなんてことはないはずなのに。
疑問だったが千尋はそれ以上穂高を追及しなかった。
(きっと事情があるんだよね)
気にはなるが、あまりプライベートに踏み込まない方がいいだろう。それに今は他人の心配をしている余裕はない。
「バイトのこと、ここだけの話にしてもらえますか?」
「あ、うん、わかった」
「同僚に知られたら面倒なんで」
「でも、私みたいに偶然入ってきたらばれちゃうんじゃ……」
千尋の疑問に穂高はうなずいた。
「入りづらい外観だし、そうそう偶然は起きないですね。だから山岸さんが入ってきたのを見て驚きました」
「そうなんだ」
どうやらこのバーは、遊び慣れている人でも入るのをためらう外観だったようだ。
「常連さんには居心地がいいって、気に入ってもらえてるんだけど」
「たしかに落ち着いた雰囲気かも」
千尋のほかには、カップルと男性客がいて、穏やかにお酒を飲んでいる。年齢層は三十代から五十代といったところで幅広いようだ。
「それでご注文は?」
穂高に促されて千尋は再びメニューに視線を落とす。
「ええと……それじゃあカシスオレンジを」
千尋はもともとそれほどお酒を飲まないので詳しくない。居酒屋に行くといつも注文するお酒をオーダーする。
穂高が手慣れた様子でカシスオレンジを作り始める。その様子はさまになっていてこっちが本職だと言われても信じてしまうくらいだった。
「お待たせしました」
穂高がカウンター越しにカシスオレンジを置いた。ほっそりしたグラスに入ったそれはとても見栄えがいい。いつも飲んでいるものよりも華やかでゴージャスだからか特別なものに感じる。
グラスをそっと持ち口に運ぶ。
こういうところで飲むお酒はなんとなく濃いイメージがあったが、ひと口飲むと予想していたよりもさっぱりしていて飲みやすかった。
「おいしい……」
「それはよかった」
思わずこぼれた感想に、穂高が微笑む。
千尋はカシスオレンジを一気に飲んだ。
どうやら、すごく喉が渇いていたのだなと実感した。
飲み終えたグラスをカウンターに置き、周囲に目を向ける。
木製のカウンターテーブルにレンガ調の壁。レザーのソファ。照明はオレンジ色。
近づかなければ顔がはっきり見えない薄暗さが、今の千尋にとってはありがたかった。
次はなにを飲もうかとメニューを確認する。
「おつまみしかないんだ」
千尋のつぶやきを聞いた穂高が、あきれたような表情になった。
「こういうところは、食後に来るものなので」
「そ、そうなんだ。知らなかった」
きっと常識なのだろう。いい年をして物を知らない自分が恥ずかしい。
「まあ、真面目な山岸さんはこういった店に来ることはないだろうから、知らなくてもおかしくないですけどね。で? そんな山岸さんがひとりで飲みに来た理由は?」
穂高が、千尋をじっと見つめた。