失恋したので復讐します
 彼女が新人教育の担当というわけではないが、本来担当だった男性社員は仕事が立て込んでいたので、適当な理由をつけて押しつけられたのだ。
 ちょうど大きなプロジェクトが佳境で、部内全体が慌ただしい時期だった。
 千尋もバタバタしていた様子だったが、世話役を嫌がる様子はなく、まだ手持ち無沙汰になりがちだった穂高を気遣い、丁寧に対応してくれた。
 処理上の矛盾点に気づき質問すると、千尋にもわからないということがあった。
『ええと、これはイレギュラーなもので私も初めて見るよ。どうすればいいのかな……』
 などと首をかしげて困った顔をしていたが、次の日までにしっかり調べて回答してくれた。
 穂高の面倒を見るのに加えて、年度初めの雑務などが重なり、千尋は連日残業していた。疲れているだろうに顔には出さず、誰に対しても親切で丁寧だった。要領がいいようには見えなかったが、確実にひとつひとつこなしていく。
 初めはおとなしく頼りない印象だった千尋に対して、穂高は信頼を寄せるようになっていた。
 一カ月が経(た)ちひと通りの業務を経験すると、千尋に都度確認するようなことはなくなり、関わる機会が減っていった。
 穂高は私大の建築学科を卒業しており、御門都市開発には建築士として入社した。
 といっても設計できる建物に規制がない一級建築士として認められるには、一定期間の実務経験が必要なため、穂高はまだ建築士としての登録がされていない。
 新人の間は先輩社員について仕事を覚え、資格を取得してからようやく独り立ちできる。修業期間の新入社員たちは、皆真剣に実務を学んだ。
 会社の資料室には多くの資料があったし、もしなくても必要ならば経費で取り寄せることができる。
 海外への視察も定期的に行っており、視察メンバーに選ばれたら、貴重な経験ができる。
 申し分のない環境で、穂高は仕事にのめり込んでいた。
 千尋の仕事は建築士の補佐と部内の事務処理。同じ仕事をしている社員はほかにふたりいるが、穂高は用があるたび千尋に依頼した。
 面倒な依頼でも千尋は嫌がるそぶりは見せなかった。いつも人のよさそうな笑顔で穂高を迎えてくれた。
 しかし彼女に頼みやすいと思ったのは穂高だけではなかったようで、千尋はなにかと仕事を抱えて忙しそうにしていた。
 フロアの端の千尋の席に、どんどんファイルが積まれていく。
 それでもしっかり期日内にさばくのは、千尋の技量だ。建築デザイン部の事務処理をスムーズに回すのに、彼女はかなり貢献していると穂高は思っていた。
 辻浦啓人は千尋の能力に気づいているのか、穂高から見て無茶だと感じるくらい千尋をこき使っていた。
 啓人は優秀な建築士で、上司からの評価は部内で最も高く、同僚からは一目置かれている。建築デザイン部のエースと言っていい存在だ。
 たしかに彼の意匠設計は斬新であったり、古風な美しさを感じるものであったりと幅広く、その才能には目を瞠るものがあった。
 客観的に見て優れた建築士だと言える。
 同僚たちは啓人のことを、仕事ができる人格者と評価している。
 穂高も建築士として彼を尊敬していたが、次第に啓人の言動に違和感を覚えるようになった。
 啓人は誰に対しても寛容でおごったところがない。
 朗らかな性格でよく笑みを浮かべている。しかしどうも目が笑っていない気がする。
 もしかしたら見かけよりも厄介な人物ではないのか。そんな勘が働いた。
 しかしこれといった問題はなく、平和に日々が過ぎていった。

 入社三年目の年に穂高は一級建築士として登録された。ちょうど社内コンペを行う年だったので、いい機会だと仕事の傍ら意匠設計に取り組んでいた。
 定時の後に残り、こつこつとアイデアを練っていく。会社の資料室にこもる日もあった。
 それから一カ月。時間をかけて苦労しただけあって、納得がいく作品が仕上がった。
『最優秀賞だって狙えるかもな』
 穂高は内心得意になってつぶやいた。
 たとえ残念な結果になったとしても、よい経験になるだろう。
 そんなふうに満足していたが、数日後に信じられない事件が起きた。
 穂高が出社すると、啓人が社内コンペに提出するために設計したという図面と完成イメージ図を、同僚たちに見せたのだ。
『わあ、斬新ですね!』
 その年の共通テーマは〝伝統〟だ。
 啓人のイメージ図には平安時代の寝殿造からインスピレーションを受けたであろう平屋建ての住宅と、広大な日本庭園が描かれていた。背後には近未来を思わせるビルが立ち並び、和の伝統と調和している。
 同僚たちが賞賛するだけはあって、文句なしの素晴らしい作品だ。
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