失恋したので復讐します
 穂高はこみ上げる苛立ちを押しとどめ、低い声を出す。
『資料や下書きを見せてもらったよ。日付は二カ月以上前のものだし、相川君のものを真(ま)似(ね)たとは考えられない』
 日付なんていくらでも偽装できる。
 しかし部長はまったく疑う様子はない。完全に啓人に言いくるめられている。
『しっかり確認してよかったよ。騒ぎを大きくしたら大問題だった』
 部長はあきらかにほっとした様子だ。
 穂高の剣幕に押されて啓人を呼び出したものの、心の中では面倒だと思っていたのだろう。
『あ……そうだ。辻浦君が、偶然にも似たデザインを出した相川君をチームの一員としてもいいと言っていたよ』
 穂高の不満に気づいたのか、部長が取り繕うように言った。
『チームの一員? あくまで辻浦さんの名前で出すということで、部長もそれを認めたということですか』
『それはまあ……辻浦君が出したデザインの方が注目を浴びるだろうしね。受賞の可能性が高くなるし、部としてはその方がいい』
 社内コンペは、運営委員の審査のほかに社員の人気投票もある。たしかに啓人の名前で出した方が目につきやすいだろう。
『下書きの日付を後から書き換えていないか、確認する気はないんですか?』
『……相川君にとっても受賞チームの一員になるのはよい経歴になると思うよ。それに……』
『わかりました。もういいです』
 穂高は部長の言葉を遮った。
 長々と話しているが、結局はこれ以上なにもする気がないのだとわかったから。
 彼は穂高の訴えを聞いても問題にする気はない。ただ厄介な問題を持ち込むなと思っているから、啓人に簡単に騙される。
 穏やかで人がよいと思っていた上司は、あきれるくらいの事なかれ主義だった。
 御門都市開発は、国内建築設計事務所の名門だ。学生からの人気も高く、社員は高い倍率を勝ち抜いた者たちだ。
 その一員になったとき、穂高は柄にもなく素直に喜び、やる気を感じたものだった。けれど。
(全然たいしたことなかったな)
 蓋(ふた)を開けてみると上司は尊敬できるところなんてないし、同僚は盗用しながらも悪びれないとんでもない人間だった。
『あの……いいって、もう大丈夫なのかな?』
 部長が穂高の反応をうかがうように声をかけてくる。しかしその目の奥には安堵の色が滲んでいる。
『はい。お騒がせしました』
 これ以上言っても無駄だ。それに穂高自身、あのデザインへの執着がなくなった。
(くだらない)
 穂高はほっとしたように額の汗を拭く部長を冷ややかに見やってから、その場を立ち去った。

 一カ月後。社内デザインコンペで啓人が最優秀賞を取り、部内は祝福ムードに包まれていたが、穂高はなにも言わなかった。言っても無駄だと悟っていた。
 その後は自分の仕事は責任を持ってこなしたが、熱意はすっかり失せていた。
 転職をするのも面倒でなんとなく日々を過ごしていたある日、千尋から忘年会に出席しないかと声をかけられた。
 基本的に部内での飲み会は自由参加だが、今回は定年退職で職場を去る社員の送別会も兼ねているため、幹事の彼女が全員に声をかけているのだとか。
『異動じゃなくて退職だから最後でしょう? なるべくみんなで集まって見送ってあげたくて。きっと喜ぶと思うんだ』
 年末の忙しい時期の幹事なんて普通は面倒に感じそうなものだ。
 実際、だからこそ押しつけられたのだろう。それなのに千尋は文句も言わずにひとりひとりに声をかけていた。
 今回退職する社員と彼女が話しているところを見かけた覚えはないから、特別親しいわけではないのだろう。
 それなのに一生懸命になっている彼女は本当にお人よしだと思った。
 幹事を嫌がっていた同僚たちは、飲み会の席では楽しく盛り上がっていた。
 いつもの通り啓人の周りに、多くの人が集まり賑わっている。
 幹事の千尋はというと、端の方の席にぽつんと座っていた。
 彼女が積極的に人の輪に入っていく性格ではないというのもあるのだろうが、手間がかかる幹事を任せたくせに、飲み会が始まると彼女に声をかけることも彼女を気遣うこともない周りの同僚たちは薄情だと思う。
 二時間でお開きになったので二次会には参加せずに帰ろうと店を出たが、しばらくして、忘れ物をしたことを思い出し急ぎ戻った。
 全員引き上げた後だったが、座敷の隅にバッグがひとつぽつんと残っている。壁には女性用のコートがかけられていた。
(誰か残ってるのか?)
 そんなことを考えながら、自分の忘れ物を手に取り座敷を出ようと振り返る。そのとき。
『きゃあ!』
 いきなり誰かがぶつかってきた。よく見ると千尋だ。
『うわっ……大丈夫ですか?』
 ふらふらしていたから倒れないように支えると、彼女はひどく驚いた顔をした。
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