失恋したので復讐します
『相川君? どうしてここに……』
『俺は忘れ物を取りに来たんですけど』
『そうなんだ……あれっ、みんなは?』
 千尋が驚いた様子で周囲を見回している。
『お会計済んでるからって、みんな帰っちゃいましたよ』
『そっか~置いていかれちゃったか~』
 千尋は冗談めかして言ったが、どこか寂しそうな目をしている。
 平気なふりをしているが、きっと傷ついているのだろう。
『薄情者ばかりですね』
『そんなことないよ。大勢いたから、わからなかっただけだと思う』
 落ち込んでいるはずなのに、薄情者に対しても悪く言わない。
 本当にお人よしだと思う。
 流れで連れ立って店を出た。
『相川君、二次会に行くよね。今場所を確認するから』
 千尋がバッグからスマホを取り出して、画面をタップする。
『入れそうな店を適当に探すって言ってたんだ。決まったら連絡してもらうことになってるの』
『いや、俺は帰るんでいいですよ』
 忘年会は、最低限の付き合いとして参加しただけだ。
『そうなの?』
『はい。山岸さんは行かれるんですか?』
『……私も今日は帰ろうかな』
『え?』
『場所の連絡がきてなくて。結構酔ってたから連絡するの忘れちゃったんだと思う』
 千尋は少し気まずそうだ。
『ひどいですね』
 相手が誰かわからないが、幹事を引き受けてがんばっていた彼女に対して、あんまりな仕打ちだ。
『仕方ないよ。ちょっと残念だけど、みんな楽しそうにしてたからよかった』
 千尋が自分自身に言い聞かせるように言う。
 自分よりも相手のことを考えてばかり。決して人を傷つけたりしない善良な人だと思う。
『お人よしですね』
『え?』
『いえ、帰りましょうか』
『そうだね』
 駅までの道を、千尋と並んで歩いた。
 その出来事以降、なんとなく千尋が気になるようになった。
 また損な役回りを押しつけられていそうで。
 そんな彼女は、やたらと啓人から声をかけられるようになっていた。
 千尋は啓人の本性を知らない。言動から違和感や疑問を持つ様子もなく、かなりの無茶振りにも笑顔で対応している。
 穂高の目から見ると啓人の感謝は口先だけなのに、ありがとうと言われた千尋は、うれしそうに笑っている。
 しばらくしてから知ったが、千尋と啓人は同期入社だそうだ。ほかの同僚に対するときに比べて千尋が気安い雰囲気なのはそのせいかと納得した。
 ふたりの様子を見ているともやもやした。こき使われているのにニコニコしている千尋はなんてお人よしなんだとあきれてしまった。
 とはいっても穂高が口出しすることではない。そもそも気にすることでもなかった。
 学生時代のバイト先の上司から頼まれて、バーテンダーのバイトを始めたので忙しくなった。他人のことを気にしている暇はない。
 千尋も啓人とはその後も親しくしているようで、平和に過ごしているように見えた。
 ところがある日、千尋がアウロラにやって来た。
 彼女はたまたま目についたからという理由で入店したようで、穂高に気づくと驚愕していた。
 顔色は悪く目は虚(うつ)ろ。あきらかになにかがあったのだと、どんなに鈍くてもわかるありさまだった。
 思い浮かんだのは、日中に会社で聞いた噂話。
 なぜそんな話になっているのかはわからないが、千尋が啓人に付きまとっていると非難されていた。
 啓人が被害者で、千尋が加害者だ。
 千尋と啓人の間で、もめ事があったのだろうか。
 啓人はいつか穂高に向けたような悪意を、千尋にも向けたのかもしれない。
 そう考えて事情を尋ねた。千尋は初めためらっていたが、啓人の名前を出すと、必死に耐えていたものが崩れるように、つらい気持ちを吐き出し始めた。
 千尋は啓人と付き合っていたと言った。
 結婚も考えていたのだと。
 あの男がそんな真剣な付き合いをするのか疑問だった。
 実際、結婚を考えていると言いながら、会社のみんなに千尋とのことを秘密にしていたのは、後腐れなく別れるためではないだろうか。
 それでも、千尋が本気だった気持ちは伝わってきた。
 泣いている彼女の姿に胸が痛んだ。
(あんな男と付き合うから)
 千尋は恋人が急に態度を変えたことに驚愕し信じられないようだったが、あの男は同僚のデザインを盗む人でなしだ。千尋の見る目がなかっただけなのだ。
 しかし、ひどく傷ついた様子で泣いている千尋にそんなことは言えなかった。
 彼女はたいして親しくない相手も優しく気遣い、相手に悪意があるとは考えないような人だ。
 恋人を心から信じていたのだろう。
 それなのに裏切られて、付きまといとまで言われて。
 同情心からだろうか。口から出てきた言葉は『それなら復讐しちゃえば?』だった。
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