失恋したので復讐します
 穂高が提案してくれた社内コンペの参加はかなりハードルが高いが、提出期限は二月末。まだ猶予はあるからもう少し考えよう。
 千尋は社内イントラでコンペの詳細が案内されているページを表示した。
(今回のテーマは〝自然との調和〟か……難しそう)
 自然にあふれた環境の中に家を建てるという単純なものではないだろう。
 ただ、中学生の頃から大学までずっと美術部に所属していたので、絵は得意な方だ。
 建築設計事務所で七年働き、そのうち二年は啓人の仕事を幅広く手伝ってきたから、有資格者には及ばないながらも多少の知識はある。
(仕上げは相川君だからなんとかなるよね? ……なるようにしよう)
 いったんページを閉じて、通常業務に取りかかる。
 申請書の作成や、建築士から依頼された海外建築資料の入手など、今日もタスクが山積みだ。
 千尋のもとには雑用が次々と舞い込んでくる。誰がやってもいい仕事のはずなのにやけに千尋に集中する。
 普段は存在感がないというのに、雑用が生じたときは千尋の顔が思い浮かぶらしい。
 それもどうかと思うが、必要なことではあるので嫌な顔をせず対応してきた。
 しかし依頼メールの中に、啓人の名前を見つけた瞬間、千尋はわずかに顔を曇らせた。
 メールを開いて内容を確認すると、セミナーの申し込みについてだった。
 法令の改正があった場合など理解を深めるために、会社の経費でセミナーに参加することができる。業界他社との交流会へも会社の経費で経費で出席可能だ。
 その際の申し込みは千尋のような事務スタッフの担当なのだが、問題は啓人が申し込み期限を守らないことだった。
 とっくに締め切りが過ぎているのに、おかまいなしに依頼してくる。
 イレギュラーの手配になるぶん、千尋の作業が増えるのに気にもしない。
(この前はっきり言ったのに)
 いまだに千尋なら文句を言わないだろうと思っているようだ。
 仕方なく今から申し込みができないか確認したが、すでに定員に達しているとのことで断られてしまった。
「……はあ」
 啓人の席に目をやる。
(いるけど、話しかけたくない)
 今はまだ啓人と関わりたくないというのもあるが、同僚の目も気になる。
 千尋が話しかけたら、啓人に付きまとっていると誤解されないだろうか。
 憂鬱だったが覚悟を決めて席を立ち、フロアの中央にある啓人の席に向かった。
(周りの目は気にしない。仕事の話をしに行くんだから)
 彼は真剣な目で画面を睨んでいるところだった。表には出ていないが、機嫌があまりよくないような気配がある。
 千尋は怖気づきそうになりながらも「辻浦君」と声をかけた。
 彼はキーボードを叩いていた手を止めて、振り返り、千尋を視界に入れると目を見開いた。
「セミナーの申し込みの件なんですが」
 彼はあきらかに驚いた様子だったが、千尋はかまわず用件に入った。
「……ああ。申し込みが終わったのですか?」
「いえ。問い合わせをしたら満席だったので申し込めませんでした。ただ同じ内容のセミナーが一月下旬に開催されるそうで、そちらなら参加可能です」
「来月? それは困るな」
 啓人が顔を曇らせた。
(困るって言われても……)
 どうしようもないことでごねられたら、千尋の方が困ってしまう。
「こういうのってキャンセルが出るものだろ? そこに入れてもらえないか?」
「連絡したときにたまたまキャンセルが出てたら入れるんでしょうけど、いつキャンセルが出るかわからないので」
「じゃあ頻繁に連絡してみてくれないか?」
「……それは難しいです。私もセミナーの申し込みだけをやってるわけではないので」
 そんなに参加したいのなら、自分で電話すればいいのに……もちろんそんなことを言う度胸は千尋にない。
「は?」
「次回のセミナーに参加する場合は、来週末までに申込書を送ってください」
 必要なことは伝え終えたので立ち去ろうとすると、啓人が「ちょっと待って」と呼び止めた。
 同僚の視線を気にしているのか、意外とやわらかい声だ。
「まだなにか?」
「雰囲気が変わったけど、なにかあった?」
 啓人がにこやかな表情で言う。しかしその視線は値踏みするように千尋の頭のてっぺんから爪先まで走らせている。
「……少し気分を変えただけです」
 啓人に本音を語るつもりはない。
(彼を見返すつもりだなんて正直に言ったら、馬鹿にされるだけだもの)
 ところがなにも言わなかったのに、啓人は顔を伏せてにやりと口もとをゆがめた。
「俺にふられたのが、よほどショックだったみたいだな」
 誰にも聞こえないような小声でささやく。
 嫌がらせとしか思えないその言葉に、千尋は息をのんだ。
 啓人は動揺する千尋の姿を見て、くすりと笑う。
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