失恋したので復讐します
「少しは見られるようになったんじゃないか?」
なんて嫌みな発言なのだろう。苛立ちに手を握りしめたとき、啓人が少し声を大きくした。
「新しいヘアスタイル、よく似合っているよ」
つい先ほどまでの悪意を感じるものとは正反対の、爽やかで朗らかな声音だった。
同僚たちが何事かとこちらに視線を向ける。
付きまといの加害者の千尋と、被害者の啓人が穏やかに話しているから驚いているのだろう。
私情を挟まずに、千尋に丁寧に接する啓人に感心しているのかもしれない。
ここで文句でも言おうものなら、きっと千尋が悪者になる。
啓人の馬鹿にした態度に苛立ちを覚えながらも、千尋は踵を返す。
「辻浦さん、今回も社内コンペにエントリーするんですか?」
そのとき誰かが啓人に話しかけた声が聞こえて、千尋はどきりとして足を止めた。
「ああ、そのつもりだよ」
「そっかー……辻浦さんの作品楽しみですけど、殿堂入りにしてカテゴリー分けてほしいですよ。私たちのチャンスがなくなっちゃう」
嘆きの声があがるが、どこか冗談めかした口ぶりだ。
「そんなことはないだろ? 社内コンペはみんなに平等にチャンスがあるものだ」
啓人の声が聞こえる。ついさっき千尋に嫌みを言った人と同一人物とは思えない寛容さを感じる声音だ。
「辻浦さんが受賞に決まってますって」
「おいおい、あまりプレッシャーをかけないでくれよ」
「すみません。でも三連覇ってすごいな。今までなかったんじゃないですか?」
和気藹々と盛り上がった話が続く。
千尋は浮かない気持ちのまま席に戻った。
「社内コンペにチャレンジすることにしたんだけど、辻浦君も参加するんだって」
ランチタイム。社員食堂の片隅の席で千尋は早速文美に報告した。
文美は千尋のチャレンジには驚いたが、啓人のエントリーについては「やっぱりね」とおもしろくなさそうに顔をしかめた。
「彼が参加するって知ってたの?」
「そうじゃないけど辻浦なら参加するだろうなって。二回連続で受賞しているんだから、普通なら遠慮しそうだけど、あの人承認欲求の塊だから」
「そうなんだ……」
「なに、その浮かない顔は」
文美がわずかに首をかしげる。
「ますます受賞のハードルが上がったと思って」
啓人が受賞して千尋が賞を取れなかったら、彼を見返すどころか、ますます惨めになってしまう。
「まあそうだよね。悔しいけど彼のデザインは秀逸だよ。とくに前々回に最優秀賞を取ったデザインはすごくよかったよね」
啓人の技術と感性は、文美も認めるものだ。
彼女が評価している前々回の作品は、伝統というテーマにふさわしい、古(いにしえ)の和と近代建築が融合した素晴らしいデザインだった。
千尋は感心して、啓人への尊敬の気持ちがますます大きくなったのだ。
「あのデザインはさらにブラッシュアップされて、湾岸部の再開発地域で採用されたんだよね」
文美の言葉に千尋はうなずいた。
「うん。そろそろ完成して、第一期の販売が開始するって聞いてる」
千尋も現場に足を運んだことがあるが、素晴らしい出来だった。
日本庭園を意識した中庭は住民の憩いの場になっている。こんなところに住めたらいいのにと思ったが、一番安い部屋でも一億円をはるかに超えるハイグレード物件のため、とても手が届かない。
それでもこんなに素晴らしいマンションをデザインした建築家が自分の恋人だと思うと、誇らしい気持ちになったものだった。
しかしあの作品は、穂高のアイデアを奪って仕上げたものだった。
真実を知った今、啓人への尊敬の念は消えてなくなっている。
ただ、彼はその次のコンペでも受賞しているし、仕事で手がけるデザインは秀逸なものばかりだから、強敵であることは変わりはない。
「まあでも最近はあまり調子がよくないみたいだし、千尋にだってチャンスはあるかもしれないよ」
「調子が悪い?」
「うん。構造設計の打ち合わせをした同僚から聞いたんだけど、スランプみたいだって」
「そうなんだ……」
マンションなどを建築する際、まずは千尋が在籍する建築デザイン部で外観などのデザインを決め図面を起こす。
その後、構造設計がデザインをもとに地震や衝撃に耐えられる強度を保てるよう柱の配置などを決めていくのだが、最近は啓人の作業が遅れがちだそうだ。
あの常に自信にあふれたように見える啓人になにがあったのだろう。
(……私には関係ないか)
啓人を見返そうとしている今は、余計なことは考えない方がいい。
「あれ、あの人って千尋の部の相川君じゃない?」
考え込んでいた千尋は、文美の声につられて視線を上げた。
「うん」
なんて嫌みな発言なのだろう。苛立ちに手を握りしめたとき、啓人が少し声を大きくした。
「新しいヘアスタイル、よく似合っているよ」
つい先ほどまでの悪意を感じるものとは正反対の、爽やかで朗らかな声音だった。
同僚たちが何事かとこちらに視線を向ける。
付きまといの加害者の千尋と、被害者の啓人が穏やかに話しているから驚いているのだろう。
私情を挟まずに、千尋に丁寧に接する啓人に感心しているのかもしれない。
ここで文句でも言おうものなら、きっと千尋が悪者になる。
啓人の馬鹿にした態度に苛立ちを覚えながらも、千尋は踵を返す。
「辻浦さん、今回も社内コンペにエントリーするんですか?」
そのとき誰かが啓人に話しかけた声が聞こえて、千尋はどきりとして足を止めた。
「ああ、そのつもりだよ」
「そっかー……辻浦さんの作品楽しみですけど、殿堂入りにしてカテゴリー分けてほしいですよ。私たちのチャンスがなくなっちゃう」
嘆きの声があがるが、どこか冗談めかした口ぶりだ。
「そんなことはないだろ? 社内コンペはみんなに平等にチャンスがあるものだ」
啓人の声が聞こえる。ついさっき千尋に嫌みを言った人と同一人物とは思えない寛容さを感じる声音だ。
「辻浦さんが受賞に決まってますって」
「おいおい、あまりプレッシャーをかけないでくれよ」
「すみません。でも三連覇ってすごいな。今までなかったんじゃないですか?」
和気藹々と盛り上がった話が続く。
千尋は浮かない気持ちのまま席に戻った。
「社内コンペにチャレンジすることにしたんだけど、辻浦君も参加するんだって」
ランチタイム。社員食堂の片隅の席で千尋は早速文美に報告した。
文美は千尋のチャレンジには驚いたが、啓人のエントリーについては「やっぱりね」とおもしろくなさそうに顔をしかめた。
「彼が参加するって知ってたの?」
「そうじゃないけど辻浦なら参加するだろうなって。二回連続で受賞しているんだから、普通なら遠慮しそうだけど、あの人承認欲求の塊だから」
「そうなんだ……」
「なに、その浮かない顔は」
文美がわずかに首をかしげる。
「ますます受賞のハードルが上がったと思って」
啓人が受賞して千尋が賞を取れなかったら、彼を見返すどころか、ますます惨めになってしまう。
「まあそうだよね。悔しいけど彼のデザインは秀逸だよ。とくに前々回に最優秀賞を取ったデザインはすごくよかったよね」
啓人の技術と感性は、文美も認めるものだ。
彼女が評価している前々回の作品は、伝統というテーマにふさわしい、古(いにしえ)の和と近代建築が融合した素晴らしいデザインだった。
千尋は感心して、啓人への尊敬の気持ちがますます大きくなったのだ。
「あのデザインはさらにブラッシュアップされて、湾岸部の再開発地域で採用されたんだよね」
文美の言葉に千尋はうなずいた。
「うん。そろそろ完成して、第一期の販売が開始するって聞いてる」
千尋も現場に足を運んだことがあるが、素晴らしい出来だった。
日本庭園を意識した中庭は住民の憩いの場になっている。こんなところに住めたらいいのにと思ったが、一番安い部屋でも一億円をはるかに超えるハイグレード物件のため、とても手が届かない。
それでもこんなに素晴らしいマンションをデザインした建築家が自分の恋人だと思うと、誇らしい気持ちになったものだった。
しかしあの作品は、穂高のアイデアを奪って仕上げたものだった。
真実を知った今、啓人への尊敬の念は消えてなくなっている。
ただ、彼はその次のコンペでも受賞しているし、仕事で手がけるデザインは秀逸なものばかりだから、強敵であることは変わりはない。
「まあでも最近はあまり調子がよくないみたいだし、千尋にだってチャンスはあるかもしれないよ」
「調子が悪い?」
「うん。構造設計の打ち合わせをした同僚から聞いたんだけど、スランプみたいだって」
「そうなんだ……」
マンションなどを建築する際、まずは千尋が在籍する建築デザイン部で外観などのデザインを決め図面を起こす。
その後、構造設計がデザインをもとに地震や衝撃に耐えられる強度を保てるよう柱の配置などを決めていくのだが、最近は啓人の作業が遅れがちだそうだ。
あの常に自信にあふれたように見える啓人になにがあったのだろう。
(……私には関係ないか)
啓人を見返そうとしている今は、余計なことは考えない方がいい。
「あれ、あの人って千尋の部の相川君じゃない?」
考え込んでいた千尋は、文美の声につられて視線を上げた。
「うん」