失恋したので復讐します
千尋がひとり憤慨していると、高い声があがった。
『あーそうかも。この前ふたりで帰っていったところ見たよ!』
『えっ? でも辻浦さんって建築デザイン部の女性(ひと)と付き合ってるんじゃないの? 私、日曜日に一緒にいるところを見かけたことあるよ』
急に自分のことが出てきたものだから、千尋の心臓がどくんと跳ねた。
『えっ、その女性って誰?』
『名前思い出せないんだよね。おとなしくて地味な感じの人。結構ベテランさんだと思うんだけど』
『あー、あの人かな。でも辻浦さんと恋人とは思えないけど……偶然会ったとかじゃないの?』
会社には交際していることを隠している。仕事がやりづらくなるため、結婚が具体的になるまでは黙っていたいと啓人が望んだからだ。千尋も目立つのは避けたかったから同意して、デートは会社の近くを避けるなど慎重に行動してきたおかげで、噂になるようなことはなかった。今も関係を疑われる様子はない。
『あ、もうこんな時間だ』
休憩時間が終わったようで、彼女たちは慌ただしく去っていった。
最後まで気づかれなくてよかったと、千尋は椅子の背もたれに体を預けた。
(驚いたなあ……啓人と葛城さんが付き合ってると思われてるなんて)
ただの噂話だとわかっているが、少しもやもやする。
(誤解でも啓人がほかの人の恋人だって言われるのはやだな……次のデートのときにでも、今聞いた話を伝えてみようかな)
彼にとっても、変な誤解はされない方がいいはずだから、理沙はただの同僚で付き合っていないと皆の前で否定してくれるかもしれない。
千尋はそんなことを考えながら、席を立ち会社を出た――。
啓人を信じていたから、少し嫉妬はしてもたいして危機感は持っていなかった。
(でもあのときの話が、ただの噂ではなかったら?)
心臓がどくどくと不安な音を立てる。
千尋は啓人を見つめて恐る恐る口を開いた。
「別れたいのは葛城さんが関係してるの?」
千尋の発言が予想外だったのか、啓人が目を見開いた。
(あ、違ったんだ)
見当違いでよかったと、千尋はほっとして体の力を抜いた。
しかし次の瞬間、啓人が口をゆがめるようにして笑った。今まで見たことがない顔つきだ。
「気づいてたとはな。意外と鋭いんだな」
「……え?」
「自分で言いだしたのに間抜け面すんなよ」
啓人があきれたような目で千尋を見る。
「ど、どういう意味?」
「だから、千尋の予想通り。あいつが本命だから別れるってこと」
戸惑う千尋に啓人が答えた。口調がかなりきつい。
もうさんざん傷ついているけれど、彼の面倒そうな態度がさらに大きな痛みとなって千尋の心を貫く。
啓人の心変わりに対してだけでなく、少しも悪びれず、それどころか千尋をあからさまに見下す彼の態度にショックを受けていた。
優しかった彼の言動とは思えない。
まるで人が変わってしまったように冷酷で、わずかの慈悲すらない。
「この際だからはっきり言うけど、お前は都合のいい女なんだよ」
「……つ、都合のいい女?」
「そう。扱いやすくて便利な女」
彼はわざと千尋をいたぶるかのように、棘のある言葉を浴びせ続ける。
(……信じられない。こんなの嘘だよ。だって……)
『山岸さんの控えめなところって好きだな。穏やかで一緒にいると癒やされる』
告白されたときに、彼がくれた言葉が思い浮かぶ。
千尋を好きだと言ってくれた彼は、誠実で優しかった。あのときの彼の気持ちが嘘だったとは思えない。
きっと付き合ってから、知らず知らずのうちに彼をがっかりさせてしまい、恋人から都合のいい女に成り下がったのだ。
「……不満があったならどうして言ってくれなかったの?」
教えてくれたら、直すように努力したのに。
「言われないと気づかない鈍いところが嫌なんだよ」
切れ長の目で睨(にら)まれて、千尋はうつむいた。
たしかに千尋には打てば響くような鋭さはない。鈍いと言われても仕方がないのかもしれないけれど。
(それでもいいと思ってくれていると信じてたのに……)
千尋の駄目なところも受け入れてくれていた彼はもういない。
「これ以上千尋といても得られるものがないからな。よりよい相手を求めるはあたり前のことだろう?」
彼の言葉が鋭く胸を刺す。
「……よりよい相手が葛城さんなの?」
なんとか出した声は震えていた。
「当然だろ? 千尋とは比べものにならないくらい、いい女だからな」
啓人がにやりと笑い、千尋の反応をうかがうような目を向けた。
「そんな……」
「驚くことか? 容姿、学歴、家柄、どれを取っても千尋は理沙の足もとにも及ばないじゃないか。ああ、若さでも負けてるな」
啓人の言葉は刃のようだった。
『あーそうかも。この前ふたりで帰っていったところ見たよ!』
『えっ? でも辻浦さんって建築デザイン部の女性(ひと)と付き合ってるんじゃないの? 私、日曜日に一緒にいるところを見かけたことあるよ』
急に自分のことが出てきたものだから、千尋の心臓がどくんと跳ねた。
『えっ、その女性って誰?』
『名前思い出せないんだよね。おとなしくて地味な感じの人。結構ベテランさんだと思うんだけど』
『あー、あの人かな。でも辻浦さんと恋人とは思えないけど……偶然会ったとかじゃないの?』
会社には交際していることを隠している。仕事がやりづらくなるため、結婚が具体的になるまでは黙っていたいと啓人が望んだからだ。千尋も目立つのは避けたかったから同意して、デートは会社の近くを避けるなど慎重に行動してきたおかげで、噂になるようなことはなかった。今も関係を疑われる様子はない。
『あ、もうこんな時間だ』
休憩時間が終わったようで、彼女たちは慌ただしく去っていった。
最後まで気づかれなくてよかったと、千尋は椅子の背もたれに体を預けた。
(驚いたなあ……啓人と葛城さんが付き合ってると思われてるなんて)
ただの噂話だとわかっているが、少しもやもやする。
(誤解でも啓人がほかの人の恋人だって言われるのはやだな……次のデートのときにでも、今聞いた話を伝えてみようかな)
彼にとっても、変な誤解はされない方がいいはずだから、理沙はただの同僚で付き合っていないと皆の前で否定してくれるかもしれない。
千尋はそんなことを考えながら、席を立ち会社を出た――。
啓人を信じていたから、少し嫉妬はしてもたいして危機感は持っていなかった。
(でもあのときの話が、ただの噂ではなかったら?)
心臓がどくどくと不安な音を立てる。
千尋は啓人を見つめて恐る恐る口を開いた。
「別れたいのは葛城さんが関係してるの?」
千尋の発言が予想外だったのか、啓人が目を見開いた。
(あ、違ったんだ)
見当違いでよかったと、千尋はほっとして体の力を抜いた。
しかし次の瞬間、啓人が口をゆがめるようにして笑った。今まで見たことがない顔つきだ。
「気づいてたとはな。意外と鋭いんだな」
「……え?」
「自分で言いだしたのに間抜け面すんなよ」
啓人があきれたような目で千尋を見る。
「ど、どういう意味?」
「だから、千尋の予想通り。あいつが本命だから別れるってこと」
戸惑う千尋に啓人が答えた。口調がかなりきつい。
もうさんざん傷ついているけれど、彼の面倒そうな態度がさらに大きな痛みとなって千尋の心を貫く。
啓人の心変わりに対してだけでなく、少しも悪びれず、それどころか千尋をあからさまに見下す彼の態度にショックを受けていた。
優しかった彼の言動とは思えない。
まるで人が変わってしまったように冷酷で、わずかの慈悲すらない。
「この際だからはっきり言うけど、お前は都合のいい女なんだよ」
「……つ、都合のいい女?」
「そう。扱いやすくて便利な女」
彼はわざと千尋をいたぶるかのように、棘のある言葉を浴びせ続ける。
(……信じられない。こんなの嘘だよ。だって……)
『山岸さんの控えめなところって好きだな。穏やかで一緒にいると癒やされる』
告白されたときに、彼がくれた言葉が思い浮かぶ。
千尋を好きだと言ってくれた彼は、誠実で優しかった。あのときの彼の気持ちが嘘だったとは思えない。
きっと付き合ってから、知らず知らずのうちに彼をがっかりさせてしまい、恋人から都合のいい女に成り下がったのだ。
「……不満があったならどうして言ってくれなかったの?」
教えてくれたら、直すように努力したのに。
「言われないと気づかない鈍いところが嫌なんだよ」
切れ長の目で睨(にら)まれて、千尋はうつむいた。
たしかに千尋には打てば響くような鋭さはない。鈍いと言われても仕方がないのかもしれないけれど。
(それでもいいと思ってくれていると信じてたのに……)
千尋の駄目なところも受け入れてくれていた彼はもういない。
「これ以上千尋といても得られるものがないからな。よりよい相手を求めるはあたり前のことだろう?」
彼の言葉が鋭く胸を刺す。
「……よりよい相手が葛城さんなの?」
なんとか出した声は震えていた。
「当然だろ? 千尋とは比べものにならないくらい、いい女だからな」
啓人がにやりと笑い、千尋の反応をうかがうような目を向けた。
「そんな……」
「驚くことか? 容姿、学歴、家柄、どれを取っても千尋は理沙の足もとにも及ばないじゃないか。ああ、若さでも負けてるな」
啓人の言葉は刃のようだった。