失恋したので復讐します
『資料は辻浦さんから受け取って。俺の担当分は葛城さんに頼むことはないから』
『えっ? でも仕事は部署でしっかり共有するべきですよね? ひとりで抱えるのはよくないです』
 理沙は穂高が断るとは思わなかったのか、戸惑いを隠さない。
 熱心だからなのかもしれないが押しが強いというのだろうか。穂高は苦手なタイプだ。
『それは勉強中の葛城さんが気にすることじゃないから。まずは自分の仕事を完璧にこなすことに集中した方がいいんじゃないか? これ間違ってるけど』
 穂高はちょうど画面に表示していた図面を理沙に見せた。彼女が作成者となっているが、おそらく啓人のレクチャーを受けたのだろう。
『え? どこが違うんですか?』
『設備設計を見直した方がいい』
 問題部分を指し示すと理沙は気づいたようで、頬を染めた。
『知ってたならもっと早く教えてください』
『辻浦さんが気づくかと思ったから……』
 彼女は穂高の返事を聞こうとせず、くるりと踵を返して立ち去った。注意されることに慣れていないうえに穂高に間違いを指摘されたから屈辱を感じたのかもしれない。
 穂高は彼女の子供っぽい傲慢さにあきれて肩をすくめた。
(あれによく付き合えるよな)
 啓人に尊敬できるところはひとつもないと思っていたが、理沙の機嫌を取ってうまく付き合う能力はかなりのものだと思った。
 そのときはまさか恋愛関係にまで持ち込むとは予想していなかったが。
 あの葛城理沙に絡まれたのなら、弱気な千尋はかなりのプレッシャーを感じただろう。
 言葉の刃も合わさればダメージは大きかったはずだから、落ち込む気持ちはわかる。
 しかも理沙が千尋に言いがかりをつけた原因は、啓人の卑怯な嘘にあるという。
(本当にどうしようもない男だな)
 内心憤慨していたせいか、つい『軽蔑してる』と本音が漏れて千尋を驚かせてしまった。
「それで葛城さんにはどう対応する気なんだ?」
 気を取り直して問うと、千尋はゆっくりした口調で答える。
「さっき昴流さんからもアドバイスしてもらったんだけど、次になにか言われたらちゃんと否定できるように準備しておく。でも信じてくれないかもしれないなって」
 それが一番いいと穂高も思った。
「まあ葛城さんは辻浦さんの胡散くささを見抜けない程度の人間なんだから、無理に関わる必要はないんじゃない?」
 彼女があのふたりに振り回されることはない。
 落ち込んでいる彼女を見ていると、啓人の言い分だけを信じて非難してきた理沙に対し苛立ちがこみ上げる。
 千尋は不器用ながらも、裏切りから立ち直ろうと一生懸命がんばっている。
 理不尽な目に遭っているのに、腐らず前を向こうとしている。
 穂高はそんな彼女と接しているうちに、投げやりだった気持ちが変化するのを感じるようになったのだ。
 しばらくすると千尋の気も紛れたようで笑顔が増えてきた。
(このまま忘れてしまえばいいのにな)
 途中、電話がかかってきたため席を外した。用を済ませてすぐに戻った穂高は、思いがけない光景に目を見開いた。
「二十九歳かー。思ったよりいってるんだね。でも俺よりは五歳下だからまだまだ若いよ」
 酔っ払いの男性が千尋に絡んでいたのだ。
 よれよれのスーツ姿で年齢は三十代前半。アウロラにときどき来店する準常連の男性だ。
 いつもは同僚とふたりで来て比較的おとなしく飲んでいる。問題行動を起こさない印象だったが、今はあきらかに酒に溺れている。
「お姉さん名前は?」
 なれなれしく千尋の肩に腕を回して、顔を近づける。
 その瞬間、穂高は衝動的な怒りを感じた。
 考えるよりも先に体が動き、男の腕をつかみ上げた。
「酔ってるにしてもマナー違反ですよ」
 怒鳴りつけなかった自分を褒めてやりたい。
「……ひっ?」
 男性がつぶれたような声をあげて、後ずさりする。
 千尋はかなり驚いたようで目を丸くしている。
 視界の端に昴流がこちらにやって来る姿を捉えたので、酔っ払いを引っ張って彼の連れがいる席を探す。
「すみません!」
 連れが現れて、恐縮した様子で酔っ払いを引き取ろうとする。足もとがおぼつかないようだったので、手助けしてソファ席に座らせる。
 すると突然テーブルに突っ伏して泣き始めた。
「……大丈夫ですか?」
 苦言を呈するどころではなく、逆に彼の失恋話を聞くことになったのだった。
 席に戻ると、千尋が心配そうな表情で穂高を迎えた。
「相川君、あの人大丈夫だった?」
 穂高は一瞬言葉を失った。
「迷惑行為をした相手を気遣うなんて、相変わらずお人よしだな」
 穂高の言葉に、千尋はへらっと笑う。
「昴流さんがいつもは穏やかな人だと言ってたから」
 寛容で優しい千尋。だから損をしてしまう。
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