失恋したので復讐します
 あきれながらもそんな千尋を好ましいと思っていた。けれど……。
 穂高はグラスに残っていたジントニックを一気にあおった。
 先ほど感じた怒りは、あきらかに穏やかな好意からくるものではなかった。
 ほかの男が千尋になれなれしく触れるのを見た瞬間、怒りがこみ上げて、冷静さを失った。
 自分らしくない行動に戸惑いを覚え、同時に自覚した。
 穂高はもうだいぶ前から千尋の人柄を好ましいと感じていた。
 でも今、胸中を占めるのはただの好意ではなく、恋愛感情だ。
 千尋のことが女性として好きだ。ほかの男が彼女に近づいただけで嫉妬して頭に血が上ってしまうくらい。
 一緒に過ごしているうちに、いつの間にか彼女が特別な存在になっていた。

(まさか、こんなことになるなんてな……)
 千尋はふられた男を見返したくて必死になっていて、穂高はその手助けをするパートナーだというのに。
 千尋は結婚まで考えていた相手との別れに傷つき、復讐することでつらい気持ちを乗り越え前を向こうとしている。
 穂高は彼女の復讐の共犯者だ。しかも自分から言いだしたことだ。それなのに恋愛感情を持ってしまうなんて。
 そんな気はないが、失恋して弱っているところに付け込むようなものだ。それは穂高の良心がとがめる。
 この気持ちは隠すしかない。
 今、千尋は啓人を見返そうと、必死にがんばっている。そんな彼女の邪魔はしたくない。
 打ち明けるとしても、復讐が終わった後だ。それまではよい共犯者として、彼女を支えなくては。
(伝えるのは、まだまだ先になりそうだな)
 穂高は内心ため息をつきながら千尋を見つめた。
 油断しきった顔で穂高を見つめている。男として意識されていないのはあきらかで。当然だとわかっているが、おもしろくない。
(いくら同僚だからって、警戒心がなさすぎないか?)
「山岸さんはもう少し警戒心を持ったら? さっきみたいに触られる前にはっきり拒否した方がいい」
 心配のあまりつい不満になって強い口調になってしまったが、千尋は素直に受け止めたようでゆっくりうなずく。
「うん。次からは気をつける。あんなふうに声をかけられるのは初めてだったからびっくりしちゃったんだ」
(初めて?)
 単に声をかけられたのに気づかなかっただけではないだろうか。彼女はぼんやりしていることが多いからありえる話だ。
 そんなことを考えていると、昴流が話に入ってきた。
「これからは気をつけた方がいいよ。千尋ちゃんすごくかわいいからね」
 ためらいなくかわいいなどと口にする昴流に、穂高はついむっとしてしまう。
「え……本当ですか?」
 千尋は真に受けてうれしそうにしている。
(昴流さんに褒められてそこまでうれしいのかよ?)
 おもしろくない。それが嫉妬だとわかっているがもやもやする。
「うん。おしゃれになってあか抜けたよ。頬のラインもすっきりしたよね。穂高もそう思ってるよな?」
 昴流は穂高の心情など見抜いているのだろう。穂高の反応を楽しむように油断なくこちらを観察している。きっとおもしろがっているのだろう。
 それでも、いつものように無視はできなかった。
「……まあ」
 千尋はたしかにかわいくなった。でも以前だって本人が気にしているほど悪くなかった。
「あ、そろそろ帰らないと」
 時刻を確認した千尋が席を立つ。
 穂高も続いて立ち上がった。
「遅いから駅まで送る」
「え? 大丈夫だけど」
 大丈夫じゃない。心配だから送るんだから、拒否しないでくれ。そんな本音を千尋が知ったら、きっと驚愕するだろう。
「千尋ちゃん、穂高がこう言ってるし最近は治安があまりよくないから送ってもらいな」
 心の声は千尋にではなく昴流に届いたようで、不本意ながらフォローしてもらう形になった。
 午後十一時。外はすっかり暗くなっている。やはり送ってきて正解だ。
 今までこんなに暗い道をひとりで帰していたなんて、自分が信じられない。
 これからは絶対に送ろう。心に誓いながら隣に目をやると千尋はまだコートを着ていなかった。
「コート着なくて寒くない?」
 十二月の夜は極寒だというのに。
「あ、忘れてた」
 千尋はのん気な反応をしながら、コートを羽織る。
 最近買ったというカシミアのコートは上品な印象で彼女によく似合っている。
 やわらかく巻いた髪が背中を流れる様子がとても綺麗だ。
「復讐は順調みたいだな」
 このままいけば、啓人が後悔する日は近い気がした。
 ところが千尋は怪訝そうに首をかしげる。
「復讐?」
 さすがにこの反応には呆気にとられた。
「まさか忘れたんじゃないよな?」
 非難の眼差しを千尋に向けると、彼女は「まさか」と慌てた様子で体の前で手を振った。
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