失恋したので復讐します

 御門都市開発は創立六十周年。資本金三億円の、国内で五指に入る組織系建築設計事務所だ。
 社員数は千二百人。多くの一級建築士を抱え、都市開発から建築設計まで幅広いプロジェクトを成功させてきた。
 千尋が所属する都市開発事業本部建築デザイン部は総勢五十人。観光客が訪れるランドマークタワーや、最新のインテリジェントビルなど、名の知れた施設の意匠設計をいくつも手がけ、受賞経験がある建築士も在籍する社内の花形部門だ。
 といっても千尋の担当業務は事務作業全般なので完全な裏方だ。建築デザイン部内で発生した経費の支払いを経理部に回すための処理や、必要な資材と資料の手配、プロジェクトの進捗情報を他部署と共有するためのデータ管理、資料作成など。
 成果が見えづらいポジションだが作業量はそれなりにある。
 事務担当は千尋のほかにも数人いるが、チーム毎(ごと)に担当を分けているので協力し合うような業務体制ではない。
 気分が落ちているからといって手を止めるわけにはいかず、必死にキーボードを叩(たた)き社内システムに入力していく。

「山岸さん、今少しいいですか?」
 午前十一時。部内の半数以上が外回りに出た頃、声をかけられた。
「あ、うん大丈夫」
 千尋は入力の手を止めて、声をかけてきた人物を見上げた。
 相(あい)川(かわ)穂(ほ)高(だか)――彼は千尋と同じ建築デザイン部の一級建築士。千尋の二年後輩だ。
 啓人ほどの目立った活躍はないが、そつなく仕事をこなすタイプで、彼が締め切りに追われたり、ミスをしたりして慌てている姿は見た覚えがない。
 千尋とは真逆の要領がよいタイプだと言えるだろう。
 一八〇センチ近くある長身に彫りが深い端整な顔立ちの、華があって人目を引くタイプ。
 しかし彼はなぜか同僚と距離を置き、素っ気ない態度を取ることが多い。結構な毒舌なので、とくに女性からは敬遠されていて社内ではあまりモテない。
 昨年の新入社員は当初穂高をかっこいいと言い何かと話しかけていたが、気づいたときには『彼はないですね』と冷めていた。。
 彼女が言うには、穂高は恋愛には興味がない人らしい。『恋愛なんて仕事の邪魔だって馬鹿にしてるんですよ』と不満そうに零していたので、もしかしたら彼からぐさっとくる発言をされたのかもしれない。
 たしかに日頃の彼の冷淡な態度を見ていると、恋愛には関心がなさそうに見える。もしかしたら社外に長い付き合いの彼女がいるので、他の女性と距離を取っているのかもしれないが、どちらにしても千尋には関係がないことだから、あまりに気にしないようにしている。

「この経費、経理から突き返されたんだけど、どうすればいいですか?」
「ええと、詳細を見せてもらっていい?」
 穂高が手にしているタブレットには、経費精算画面が表示されていた。
 内容は彼が先月行った海外出張の際の立て替え経費の精算だが、修正するようにと戻されている。
「ここのお店は、クレジットカードが使えなかったんですか?」
「そう。現金で支払いました」
「そうなんですか……あ、これ、レートが違うみたい。海外出張の精算は月末TTMで……」
 千尋は自分のパソコンから、必要な資料が記載されているデータを探して穂高に送った。
「どうも。これで修正してみます」
「もしまた駄目だったら教えてください」
 千尋はそれで会話は終了だと思っていた。
 ところが穂高はなにか気になることがあるかのように、立ち去らずに千尋の顔をじっと見つめている。

「……あの、ほかにもなにか?」
 千尋は戸惑いながら少しだけ首をかしげる。顔になにかついているのかと不安になり、無意識に左手で頬を触っていた。
「顔色が悪い気がしますけど、体調が悪いんですか?」
「えっ? ……い、いえ、そんなことないけど」
 思いがけない指摘に一瞬言葉を失ってしまったが、すぐに取り繕って答える。
 同僚に関心がなさそうな彼の発言だから驚いた。
(気を使ってくれたのかな?)
 意外と優しいところがあるのだろうか。そう思ったとき。

「相川、この後空いてないか?」
 部内の男性社員が会話に割り込んできた。彼は千尋の一年後輩だから、穂高にとっては先輩社員になる。早口で切羽詰まった様子から、なにかトラブルがあって穂高に助けを求めているようだ。
「どうしてですか?」
 けれど穂高は、親身になるどころか面倒くさそうに眉をひそめた。
「明日の午前中に、相手先に提出する資料と図面がまだ完成してないんだよ。今から手分けしてやるから、お前も来てくれ」
 男性社員が穂高を急かす。それでも彼は動かず、迷惑そうな視線を返した。
「無理です。俺も片づけたい仕事があるんで」
「それは今じゃなくてもいいだろ? こっちは急ぎなんだよ!」
 苛立った声をあげる男性社員が、穂高の腕を引っ張ろうと手を伸ばす。
 しかし穂高はさっと身を引いてかわしたので、男性社員をますます怒らせる結果になった。
「お、お前、その態度はなんだよ。同僚なんだからフォローするのは当然だろ?」
「納期に間に合わなくて騒ぐの、これで三度目ですよね?」
 淡々とした穂高の返事に、男性社員がうっと言葉に詰まる。
「いざとなったら誰かに頼ろうって甘い考えがあるから、スケジュール管理すらまともにできないんじゃないんですか?」
「あ、相川……お前失礼すぎるだろ?」
「本当のことを言っただけですけど気に障ったならすみません。急いでるので失礼します」
 すみませんと口にしている割に、全然悪く思ってなさそうな表情の穂高は、プルプルと体を震わせるほど怒っている男性社員のことなど気にも留めず、さっさと自席に戻っていく。
(す、すごい……)
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