宿命の王女と身代わりの託宣 -龍の託宣4-
()()()と同じ味がする――)

 襲われた瞬間が、今その場にいるかのように、目をつむった世界にありありと映し出される。振り上げられた毛むくじゃらの腕。まるで()れた果実のように、父親の頭はそのひと振りで()ぎ払われた。

「マルコ様……!」

 ふわっとあたたかい風がマルコを包んだ。続けざま、しゅっ、しゅっとやさしい風は吹く。
 涙のにじむ瞳で見上げると、令嬢が身を乗り出すようにこちらへと手を伸ばしていた。香水瓶を(かか)げ、その中身を再びひと吹きさせる。

(あったかい)

 まるで春風のようだった。()いち(にち)()が伸びて、草木が芽吹くよろこびの風だ。

「お怪我をなさったのですね? ああ、ここからでも届くかしら」

 何度も押すうちに、瓶は(から)になったようだ。カスカスと鳴る音に、令嬢は慌てて中身を確かめた。

「あの、それは……?」
「こちらは、その、よく効く秘伝の傷薬ですわ。もっと近くで掛けて差し上げたいのだけれど……」

 そう言われて指先に視線を落とす。さっきまであった深い刺し傷が、きれいさっぱり消えていた。

「いえ……ちゃんと届いたみたいです」

 放心したように言う。信じられないが、痛みももうまるでない。口の中に残っている血の味も、なんだかほんのり甘く感じられた。

「まあ! それはよかったですわ」
「あの、そんな貴重なものを使わせてしまって、本当にすみませんでした」

 貴族の使う秘伝の傷薬を、平民出の自分に使うなどあり得ない。後で金を要求されたとしても、今のマルコには支払うことはできないだろう。

「そんなことお気になさらないでくださいませ。すぐに手に入る物ですから、心配はご無用ですわ」

 向けられた笑顔を、遥か遠い存在――まるで慈悲深い女神を見るかのように、マルコはぼんやりと眺めていた。彼女はきっと、理不尽(りふじん)な運命に打ちのめされたことなどないのだろう。裏表のない無垢(むく)な瞳が(まぶ)しくて、目を逸らしたいのに逸らすことができなかった。

「マルコさん、どこですか?」

 遠くからレミュリオの声がする。はっと庭の向こうに視線をやった。

「すみません、ボクもう行かなくちゃ」
 木を降りかけて、もう一度令嬢の顔を見る。

「今日もいろいろと助けてくださってありがとうございました」

 深く頭を下げると、今度こそ木を降りた。二度とここには来てはいけない。なぜだかそんなふうに思った。

 一度も振り返らずに、マルコはその場を走り去った。

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