宿命の王女と身代わりの託宣 -龍の託宣4-
     ◇
 昨日に引き続き、早い時間に宰相に執務室を追い出されてしまった。急な書類はなくともやることがないわけではない。それなのにいつにない強引さで言われ、難しい顔のまま仕方なく部屋に戻ってきたハインリヒだ。
 入るなり(こう)のようなにおいがかすかに鼻をくすぐった。薄く()かれた(ほの)かなかおりにほっとできる心地よさを感じる。

「お帰りなさい、お疲れになったでしょう?」
「……アンネマリー」

 笑顔で自分を迎え入れたアンネマリーに、ハインリヒは少しばつが悪い顔をした。昨日は不安に駆られるまま、乱暴に求めてしまった。アンネマリーといる間だけは、何もかもを忘れられる。まるで道具としてアンネマリーを利用しているように思えて、それがたまらなく後ろめたかった。
 いつも以上にやさしく抱きしめ、その頬に口づける。やわらかく笑みを返されて、夕べの扱いに怒ってはいないのだとハインリヒは胸をなでおろした。

「お食事は済まされましたか?」
「ああ、先ほど軽く食べてきた」

 家族で晩餐(ばんさん)を囲むのは年に数えるほどだ。それすらもスケジュールに組み込まれていて、普段の食事は執務の合間に詰め込んでいる。

「ぶな」と鳴き声がしてハインリヒの足に猫の殿下がすり寄ってきた。甘えるようにごつごつと何度も(ひたい)をぶつけてくる。

「なんだ殿下、来ていたのか」
「ハインリヒが早くに戻ってきたから、殿下もうれしいのね」

 足元に絡みつく殿下を抱き上げて、ハインリヒは首下をくすぐるように撫でた。気持ちよさそうに目を細め、殿下はゴロゴロと(のど)を鳴らしはじめる。

「ハインリヒはここに座っていて」

 手を引かれるままソファへと腰かける。それを見届けるとアンネマリーは隣の部屋に行ってしまった。殿下を膝に抱いたまま、ハインリヒは部屋にぽつりと取り残される。

(せっかく早くに戻ってきたのに……アンネマリーはよろこんでくれていないのか?)

 急に戻った上に、いつもより随分早い時間だ。アンネマリーもやることがあるのかもしれない。だがやはり夕べに強引に抱いたことに腹を立てているのだろうか? そんな不安がよぎったとき、殿下に指先をあぐっとかじられた。

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