宿命の王女と身代わりの託宣 -龍の託宣4-
 空気の流れで拳が振り上げられたのが分かる。奥歯を噛みしめその時を待った。しかし一向に衝撃は来ず、ぎゅっと目をつむった状態でハインリヒはふわりと何かに(つつ)まれた。
 膝をついたハインリヒの頭を、アデライーデは胸に(いだ)いていた。その髪をやわらかく撫でていく。

「……アデライーデ?」
「ねぇ、ハインリヒ……これでもう、終わりにしましょう?」

 アデライーデは(ささや)くように言う。頭の上からする静かな声を、抱きしめられたままハインリヒはただ聞いていた。

「わたしね、今の自分が好きよ。騎士の仕事だって(しょう)に合ってるって思ってる。だけど……だけどね。だからといって、あの事があってよかっただなんて、どうあってもそんなふうに思うことはできない……」

 あたたかな胸元から、アンネマリーとは違う甘い香りがする。同時に頬にあたる騎士服のボタンの冷たさに、アデライーデの置かれた立場を痛感した。
 貴族女性であるアデライーデが騎士の道を選んだのは、自らが望んだわけではない。この手が彼女の未来を引きちぎった事実は、永劫(えいごう)、消えることはない。

 ハインリヒの口から嗚咽(おえつ)が漏れる。間もなく王となる立場であっても、あふれ出る涙を(こら)えることはできなかった。

「でも……わたしたち、今まで十分傷ついて来たわ……だから、これでお(しま)いにしていいと思うの。もういい加減、前を見て歩いていかなくちゃ。わたしはわたしにしかできないことをするわ。ハインリヒも、あなたにしかできないことがたくさんあるでしょう?」
「アデラ……イーデ……」

 やさしく頭を撫でる手つきに、遠い日の記憶がよみがえる。ちょっとしたことですぐ泣く幼いハインリヒを、アデライーデはいつだってこうやって慰めてくれていた。

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