明日からちゃんと嫌いになるから
泉はそうするのが当然のように、六花のキャリーケースを奪っていく。一応事前に調べて、申請の必要がない大きさのものを選んだのだが、荷物が入りきらず、キャリーケースの上にはサブバッグまで乗っている。対して泉の荷物は、ボストンバッグひとつだけだった。

「東京に行くのも、出張もはじめてで……なにを持っていけばいいかわからなくて」

世間知らずという自覚はあるので、自分の荷物の量が非常識だったかもしれないと気づき恥ずかしくなった。

「いや……そう言えば、そうだった」

泉は一瞬驚いた顔を見せていたが、昔を思い出したのかすぐに納得した。

父は仕事に家族を同行させることはなく、日帰りや近場に一泊程度の家族旅行には連れていってくれたが、そういう時は真由美が必要なものを考えてくれた。

修学旅行は関西や沖縄に行ったが、学校行事なので持ち物が細かく指定されていて悩むことはなかった。……なのでこれまで単独で荷造りをしたことがなかったのだ。

東京への旅行は、一度だけ……六花がせがんで小学校卒業の記念で計画してもらったことがあった。そのときは六花自身が風邪をひいてしまい旅行はキャンセルされた。それからはいつかと思いながら、家族全員での旅行の機会は失われていった。

「用心にこしたことはないから、荷物は多いくらいでいいんじゃないか? 今回は観光じゃなくて残念だったな」

「そうですね」

「そのしゃべり方、ずっと続けるつもり? 普通にするんだろう? それとも嫌がらせ?」

泉が嫌そうな顔をして言うから、六花は慌てて一生懸命否定した。嫌がらせのつもりは……はじめたときは確かにあった。人前ならともかく、二人のときでも最近はわざとらしく他人行儀な態度をとっていた。

そして今、泉はたぶん六花に歩み寄りのチャンスをくれている。彼のほうこそ、これまでの冷たい態度は六花の恋心を消し去るための演技だったのかもしれない。

六花の結婚が現実のものとなりそうだから、これ以上自分に付きまとってはこないだろうと、安心したのだろうか? 遠からず、退職すると知ったから?

彼の中で六花の存在がどんどん小さくなって「どうでもいい人」に変わっていく気がした。それでも、冷たい目を向けられるよりはましかもしれない。六花は一度、深呼吸をして気持ちを切り替えた。

「荷物を見ていてくれるなら、私がコーヒー買ってくる。いっちゃんは、ドリップコーヒーでいいの?」

昔みたいに、家族だと思っていた頃のように話しかけると、泉の表情も和らいでいく。

「入り口まで一緒に行く。ちょうどプリペイドカードを人からもらったんだ。……足りない分は自分で出して」

泉は六花のキャリーケースを立たせて置くと、ポケットの財布からコーヒーショップのカードを取り出し、渡してきた。

手持ちのハンドバッグのみになって身軽な六花は、それを受け取っておつかいを遂行する。お店でドリップコーヒーと、自分のカフェラテを注文して持ち運び用の紙袋に入れてもらった。

そこから泉と改札に向かうあいだ、泉は六花の荷物を引き受けてくれて、新幹線に乗り込んでからもキャリーケースを上部の荷物入れに上げてくれた。

(そういえば、こういう人だった)

彼はなんでも先回りしてしまう。六花が危ない目にあわないよう、苦労しないよう気配りしてくれる。そこが罪なくらい素敵に思えて憧れて、そして……今でも決して対等にはなれない存在なんだと気づかされる。大人になってもまだ追いつけない。



新幹線の中では、お互いほとんど干渉しあわず、展示会の資料を読んで過ごした。そして東京駅から有明方面に向かう。

ホテルはお台場で、一度そこに立ち寄って不要な荷物を預け、簡単な昼食をとったあと展示会場に向かった。六花も泉も、今日は挨拶をして仕事のレクチャーを受けることになっていた。明日と明後日の二日間は本社からの人員が半分になり、自分たちがメインのスタッフとして動く予定だ。
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