明日からちゃんと嫌いになるから
まさか、泉が幼少期にそんな辛い思いをしていたなんて。六花と出会った頃は、身体が丈夫でスポーツと勉強どちらも飛び抜けてできて、学校の人気者だった泉。……事故からそこに至るまでの数年間、彼はどんな苦労をしたのだろう。

偶然にも泉が救急搬送されたのは、宮下総合病院で、特に足の怪我は何度も手術を受け、リハビリをしたのだという。

「それで泉は『医者になりたい!』って言い出したのよね。……それを知った孝典さんも再婚してからずっと応援してくれたのよ。……泉の夢は叶わなかったけれど、医療機器メーカーに就職したのも、きっとその頃の気持ちがあったからなんでしょうね」

「……え? いっちゃんは、お医者さんになりたかったの?」

「そうよ。ずっと目指していたじゃない」

「お父さんに押しつけられて、勉強させられていたのかと思ってた」
「違うわ。再婚する前からの本人の希望を、孝典さんが後押ししてくれていたのよ」

「……そう、なんだ」

じゃあ、試験でわざと失敗したわけではなかったの? 六花はその話を聞いてほっとした。最近悩んでいたことに対しての救いでもあった。

(でも……)

それにしては、一般受験も浪人もしないまま、医師への道をさっさと諦めてしまったのはなぜなのか? 釈然としない部分も残るが、結局は過去の出来事だ。


   §


悩みに悩んで、自分なりの結論を出して、もう一度正樹に会いにいったのは、それからさらに二週間後だった。

込み入った話になるとわかっていたので、ランチの時間に個室のある料理屋を予約して、二人は顔を合わせた。簡単な和食コースだったので、給仕の店員が出入りしているあいだは、抱えている問題を切り出すのを控えた。そのせいで、地獄のようなランチタイムになってしまった。

正樹は、たぶんかなり気が弱いタイプなのだろう。顔色が悪いし、この前よりやつれた気さえする。彼は自分より八つも年下の小娘に上に立たれ、腹立たしくないのだろうか?

わかりやすくて、嘘を吐くのが下手そうで……そういう正樹の性格に特別な魅力は感じないが、危険もないと思えてしまった。だからこの提案を、六花はこの場に持ってきたのだ。

「結婚の話、このまま進めていただいてもかまいません。……ただし、条件があります」

「なんでしょうか?」

彼はやっぱりすぐ顔に出る。六花は自分の考えに自信を持ち、彼に伝えることにした。

「まず、ご実家の病院の経営状態が悪いのなら、父に正直に話してください。将来的にどんな協力をしてほしいのか、そのあたりはきちんと明確になるよう話し合ってください。私には関係のない部分なので、父がよいといえばそれで問題ありません」

先日正樹は、父にとって正樹の実家の病院など豆粒のような存在だと言った。それが本当なら、この提案はのめるはずだった。結婚が決まる前にちゃんと正樹が申告すれば、父は彼のことを誠実な人間と評価するだろう。

「……わかりました」

「それと、私たちの問題ですが……」

今日自分自身も覚悟を決め、六花は一呼吸してから続ける。

「割り切った関係にしませんか?」

「……それは?」

「私は、あなたが誰を好きでも気にしません。見えないところであればご自由にどうぞ。一緒にいるときはお互いよいパートナーでいる。もちろんそれぞれの家族の前でも。……これでどうでしょうか?」

「つまり……契約結婚でしょうか?」

「そうです。正樹さんとの結婚話を破談にしても、次によい人と出会える気がまったくしないんです……。それに、卑怯者になりたくないので言いますが、私にも好きな人がいます。片思いなんです」
< 28 / 37 >

この作品をシェア

pagetop