明日からちゃんと嫌いになるから
もし正樹がずる賢く、悪巧みができる人ならばさすがにこんな提案はしなかった。彼は悪人ではないから、今もただ戸惑っている。

「六花さんは、もしご自身が片思いではなくなったときどうするおつもりですか? 離婚するにしても後悔しますよ」

「それはありえないので、考えるだけ無駄です」

好きな人……泉にとっては、六花が彼に恋心を抱いていることが一番迷惑なのだ。でも、気持ちなんて自分自身ですらコントロールできるものではない。

もしこのまま正樹と結婚すれば、父も泉も安心し、喜んでくれる。二人が喜べば真由美もきっと喜ぶ。

結婚を決めた理由は、ただそれだけの理由。正樹以外の相手であれば、夫となる人以外に恋をしているなんてきっと許されない。でも彼となら、六花は罪悪感を持たなくて済むことに気づいてしまった。

自分の心を守るために、この人と結婚する。

六花は揺るぎない決意を伝えるために、正樹のことを正面から見つめる。正樹は長いあいだ考えこんでいたようだが、やがて彼もはっきりと同意の意味で頷いた。


   §


それからとんとん拍子に話は進んでいく。

正樹は約束を守り、六花の父に実家の病院の経営状態を打ち明け、話し合いをしてくれた。父は予想どおり、とるにたらないこととして、笑って協力を受け入れたようだ。

秋に結納を交わし、雪解けの三月末に挙式することが決まる。通常は一年ほど婚約期間を設けて準備していくようだが、決意が揺らがないようにと、六花自身が早い日程で調整していった。

毎日の仕事をこなしながら、週末は結婚式場を決め、ドレスを決め、招待状を準備する。忙しく動き回っているあいだに十二月を迎えていた。

「お世話になりました。至らないところも多かったと思いますが、皆さんに親切にしていただき、いろいろ学ばせていただきました。本当に感謝しております」

結婚に備えて退職を決めた六花は、区切りよく年内十二月二十日が最後の勤務日となり、泉をはじめ、同じ課の人たちは六花に花束まで用意してくれた。

師走なので、すでに先週課で行われた忘年会を六花の送迎を兼ねたものにしてもらった。あとは別の日に仲の良かった同僚と集まることになっている。なので勤務を終えた六花は、私物をすべてまとめたあと会社をあとにした。

建物の外に出ると、泉がいた。コートを着ていない彼は、まだ仕事が残っていそうだったが、最後に六花のことを見送ってくれるつもりなのだろうか。

「お疲れ様」

泉に声をかけられ、六花は彼と向き合った。

「いろいろ迷惑かけてごめんね。今までありがとうございました。……結婚式は出てくれるんだよね?」

すでに両親と相談し、結婚式には泉にも親族として参列してもらう旨を伝えてある。この件は真由美を通して了承をもらっていたはずだ。

夏からここ数ヵ月、日々の業務ではごく普通に接してきたが、結婚式に関しては六花が積極的に話題にしてこなかった。だから結婚式のことを直接話すのは、はじめてだった。

「ああ……」

「じゃあ、またね」

最後ではないから、六花は「またね」と口にした。同じ人を母と呼び慕う自分たちには切りたくても切れない縁があって、それはきっとこれからも続いていく。


   §


会社を辞めてから数日間は、自分のマンションで片づけものをした。一月中には、マンションも引き払って一度実家に戻る予定だからだ。

二十四日もそうやって、なんの予定も入れずに片づけをして過ごしていた。あれから正樹が恋人とどうしたのか、六花は確認していない。
< 29 / 37 >

この作品をシェア

pagetop