明日からちゃんと嫌いになるから
もともと六花は大学を卒業したら、父が経営する総合病院の事務の仕事に就くように言われていた。そのための資格も取得していたのだが……就職先を変える決断は二十をすぎてからのはじめての反抗でもあった。

ただ基本的に父は娘には甘いし、そもそも医大に合格できるほどの頭脳もなかったので、六花への期待は薄く、いくつかの条件を交わして認めてもらうことができた。

どちらかと言えば、父は昔から養子である泉に期待していて、彼が医学の道へ進んでくれることを望んでいた。それが叶わなかったときの落胆に比べたら、六花の就職先の変更など、些細なことだったようだ。

その就職先が泉の怒りに触れ逃げ帰った六花だったが、それでも今さら引くことはできず、そのまま医療機器メーカーに勤めはじめる。

最初の二年は、泉との接点はほぼなく、会社で活躍している泉を遠くから眺めるだけだった。



入社一年目。泉には社内に恋人がいて、結婚間近だと囁かれていた。

泉と同じ年の女性で、彼と同じく本社採用の総合職。仕事ができて社内でも一番の美人だと評判の人だった。二人が一緒にいる姿を目撃したとき、六花はじりじりとした胸の痛みを感じた。

そのうち継母から聞きたくもない知らせを受けるのだろうか? そして自分は「結婚おめでとう」と祝福しに行かねばならないのだろうか?

漠然とした不安を抱えて過ごしていたが、泉は結局その相手とは結婚しなかった。

翌年、その人は東京本社へ戻っていき、噂程度に二人は別れたと聞いている。

以降、泉の女性関係について「取引先の人に言い寄られている」など、たまに情報通の同僚から聞く程度になっていた。

そして、今年の春から同じ課の所属になり、三ヵ月。

最初は、目が合うたびにあからさまに視線を逸らされること、自分以外の人には優しい泉が、六花とは最低限しか話さず不機嫌な態度をとってくることが辛かった。

それでもだんだんと感覚が麻痺してきて、そっけなくされることにもいつしか慣れてしまった。


   §


金曜日は、課での飲み会が開催された。六月末をもって定年退職を迎える、課長の慰労会だ。

昨今の世情から大きな規模の集まりは長いあいだ開催されていなかったので、世代問わずに集まる飲み会は、六花にとってははじめてのことだった。

深山(みやま)深山課長、長い間お疲れさまでした!」

「乾杯~!」

飲み会はほかの課からも何人か顔を出していて、総勢四十名程の社員が参加していた。

六花はお座敷の末席のあたりで、年の近い女性の同僚たちと飲みながら時間を過ごす。この周辺だけ見ると、普段のランチタイムとそう変わらない光景だ。

彼氏募集中の先輩が、婚活アプリに登録したがなかなかうまくいかなかった話を披露してきて盛り上がり、そのあとはファッションや美容の話をした。

「じゃあ私、課長に挨拶してくる」

一番の年長者が席を立ったのは、一時間が過ぎたあたりだった。

残された六花たちは「どうする?」としばらく相談し合う。多分、自分たちも挨拶に行くべきなんだろう。でもどんなタイミングでお酌をしにいけばいいのか、正直わからない。すっかり職場の飲み会が苦手な世代になりつつある。

そして今回皆で参加を決めたのも、経験の浅い部分にあえて挑戦していくつもりがあったからだ。

「先輩が戻ってきたときに、聞いてみたらいいんじゃない?」

六花がそう提案すると、あとの数名も同意した。

「そうだね、そうしよう」

ちらりと上座のほうを見ると、先輩社員は今日の主役である深山課長と話し込んでいて、当分戻ってきそうにない。

(……あっ)

上座のほうに視線を向けたから、意図せず泉と目が合ってしまう。六花は彼にそうされる前に、慌てて自分から視線を逸らした。

そんな六花に声をかけてきたのは、斜め向かいにいたひとつ年上の男性社員、西田だった。

「宮下さん、グラス空だよ。追加オーダーする?」

「ありがとうございます」

差し出されたメニューの「飲み放題」の項目から、飲みやすそうなカクテルを選んだ。オーダーはタブレット式になっていて、声をかけてきた西田が手際よく頼んでくれる。そこから西田は、さっきまで先輩がいた席……空いていた六花の隣に移動してきた。

「宮下さんさ、唐突だけど彼氏いる?」

本当に唐突で、六花は面を食らう。そして気づく、西田の肌の露出している部分……首から上が赤くなっていてかなり酔っていることを。

西田以外の視線も集まってしまい六花は居心地の悪さを感じた。みんな他人の色恋が好物なのだろう。

「……彼氏ですか? いますよ」

もちろん嘘だった。さっきまで話していた仲のよい女性の同僚は、その意図に気づいてこっそり笑っていた。そして「うんうん」と、話を知っていた素振りをみせてくれるが、これは六花の対応が正しいと嘘に付き合ってくれる意味もある。
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