明日からちゃんと嫌いになるから

やりなおしはできなくて

会社の飲み会があった翌日――。

六花は朝から腫れぼったくなってしまった顔をどうにか冷やして、実家の宮下家に戻った。
昨晩泉に伝えたとおり、六花はもうじきお見合いをする。相手は父が病院を引き継いでもらいたいと考えている医師なので、お互いにどうしても受け入れられない理由がなければ、そのまま結婚に向かっていく流れになるだろう。

この日は祖母と継母と三人で、お見合いの席で着る振り袖の衣装合わせをすることになっていた。

成人式では継母・真由美のすすめで、病で亡くなった六花の実母の振り袖を着用した。お見合いも同じ着物でいいと考えていたけれど、父から今回は季節に合わせた振り袖をあつらえるように言われた。

どうせ六花はただの着せ替え人形なので、嫌がる理由もなくそれに従ったのだが……その振り袖が仕上がってくるらしい。

ここまでくると、いよいよ後戻りができないのだと実感がわいてくる。



実家までは、六花の借りているマンションからバスを使うのが便利だ。

呉服屋が家に振り袖を届けにくるのは午前十時と聞いていて、ちょうどよい時間のバスがなかったため四十分ほど早く到着した。

宮下は代々医師の家系で、父は地域で一番大きな総合病院の理事長だ。自宅は主要駅から離れた旧市街に近い丘の上に建つ。敷地内には祖母が暮らす和洋折衷造りの古い家屋と、父が建てた現代的な家屋がある。

今日は着付けの講師でもある祖母の住まいに来るように言われていたので、六花はそちらの玄関を開けた。

「おばあちゃん……、六花です。入りますよ」

四枚建ての引戸は、来客の予定があるときは施錠されていないことが多い。父が言うには、確かにこのあたりでは、一昔前は当たり前のように鍵をかけていなかったらしい。

生活スタイルを変えたくない祖母は新しい母屋に移ることを拒否して、一人古い離れで生活していた。

六花も祖母の考え方には慣れたものなので、一声かけて勝手に家に上がっていく。

玄関先にはすでに靴が一足ある。おそらく継母の真由美のものだろう。入ってすぐにある洋風の応接間に二人の姿は見当たらず、だとすれば掘りごたつのある奥の居間にいるのだろうと、目星を付けてそちらへ足を向ける。

実際廊下から、祖母と継母らしき話し声が聞こえてきた。六花は居間の扉をノックしようとして、その前にはたと手を止めた。

「――真由美さんは本当によくやってくれて、感謝しているの。六花の母親役を引き受けてくれてありがとう」

祖母の発した言葉の意味を考える。

(母親役……?)

確かに真由美は六花の実母ではないから、そういう言い方もできる。でも、自分たちは本当の母娘のように仲がよい。

「――そんな……お義母さん、頭を上げてください」

真由美が恐縮している。そこにまた祖母の声が続く。

「――孝典(たかのり)は、与えておけばいいと思ってしまう節があるのよ。泉のときみたいに、それが今回も悪い方にいかないか心配でねぇ……」

なんの話をしているのだろう。孝典は父の名だ。祖母の言うとおりで、父はまずものを与えて置こうとする性分だった。今回の振り袖がまさにそれで……ただ六花への愛情がないわけではなく、仕事の忙しさを補う術がほかに思いつかない人だとわかっている。

それより泉の名前が出てきたことが気になり、悪いことだと思いながらも扉の前で立ち聞きをしてしまった。

「――でも孝典さんは私が必要なくなったとしても、急に追い出したりしませんから」

冗談交じりに真由美が言う。くすくすと笑っていて、そこに深刻さはない。それでも六花は、指先からどんどん身体が冷えていくような感覚に襲われた。

「――そんなことをしたら、この私が許さない。孝典を家から追い出してやるわ。……今朝、泉から電話があったんですって?」

祖母は泉のことは昔から気に入っていて、今でも気にかけているようだ。それにしても、今朝って……。

「――はい。六花ちゃんのお見合いのことを聞いてきました。相手がちゃんとした人なのはわかってるけれど、人柄を見極めてと」

昨晩一人で泣いて枯れたはずの涙が、またじんわりと湧き出てきそうだ。でも昨日と違うのは胸の熱さだった。

(私のことなんて、もう気にしなければいいのに……)

そう思いつつ、数秒間考えたら自分に嘘を吐いていることに気づいてしまった。

いくら六花に冷たくしようが、泉は生来優しい人だ。六花が昨日あんなことをしたのは、ただどんな形でもいいから、彼の興味を引きたかったから。

……きっとこういうところが、泉から嫌われる部分なのだろう。
< 7 / 37 >

この作品をシェア

pagetop